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支援はインプットではなくアウトカムで見よ

傲慢な援助を読んだ。貧困支援を、支援額のような世間へのPRを主眼としたインプット情報で見るのではなく、科学的根拠を添えたアウトカムで見るべきで、そのためにもプランナーではなくてサーチャーに実行を任せるべきという論を展開する本。

善意にあふれた先進国からの援助のうち、たった数%しか本当に必要な人に届いておらず、これまで経済成長に成功してきた国は、援助をそれほど受け入れてはいない国である。
貧しい国を経済的停滞から脱出させたのは、援助だったのだろうか。母集団を平均以上に外国援助を受けた国と、平均以下しか受けなかった国に分けてみると、1950~2001年について両方とも同じ結果だったのである。

著者は特に欧米が旗を振って行う支援について否定的だ。そして、その根元は、実行者のタイプ(プランナー or サーチャー)によるのではないかという。

[プランナ ⇔ サーチャー]
実現に責任を負わない ⇔ 行動に責任を負う
何を供給するか決める ⇔ 何が求められているかを見つけ出す
全体図 ⇔ 個別カスタマイズ
トップダウン ⇔ ボトムアップ
実際に必要とされているかを気にしない ⇔ 実際に満足させたかを調べる
答えがわかっているスタンス ⇔ 答えはわからないスタンス

このように、それぞれは大きく違いがある。「プランナー」は善意に満ちてはいるが、誰かにそれを実行に移させるモチベーションを与えようとはしない。これに対して、「サーチャー」は物事がうまく動くやり方を考え、うまくいったら得するようなインセンティブを与える。要するに、アウトカムに対して、フィードバックとアカウンタビリティを植え付けるのだ。

プランナー的やり方からサーチャー的やり方にシフトすれば、アカウンタビリティが高まり、援助が改善される可能性がある。援助機関は、大きな目標に対して組織全体で責任を負うのではなく、個別の援助の結果に責任を負うようになるだろう。援助の担当者は今は効率的でないジェネラリストになりがちだが、アカウンタビリティが求められるようになると、有能なスペシャリストになっていくだろう。

支援の実行者はサーチャー的にシフトしてアカウンタビリティを負わせるべき。

西側は貧しい国のための包括的な改革をデザインすることができず、市場を機能させる良心的な方法と良い制度を生み出すことができない。これまでに、市場を機能させる規則には、社会規範、人間関係のネットワーク、所得増加につながる政府の法令や制度に対するボトムアップ的な希求が反映されていることを見てきた。

社会内部の相互作用は複雑なので、トップダウンではなく、ボトムアップ的に課題を見ていく必要があるのだ。西側は有効な民主主義と良好な政府を根付かせようとしたが、そもそも民主主義は国内にいてさえ難しく、ましてや海外からではより一層困難であることが歴史を見ても明らかだ。

社会規範は民主主義を確立するには最も難しい部分かもしれない。多くの貧しい国はそのような規範を確立するに至っておらず、選挙の多くは反対派をいじめ、威嚇するものであるため、国民は投票をしないのである。

民主主義は少数派を保護するのは構造上難しい。むしろヒトラーのユダヤ人、アラブのイスラエル、アメリカのテロリストみたいに仮想敵としてプロパガンダに使われ、戦争を正当化するものになりうる。

そういう意味では、現在の支援実行している貧困国と言われる国は、元々帝国主義時代に無理やり国境を作って民族を分割させてしまったケースが非常に多いので、民主主義の構造が内乱を生むのは納得できる。

途上国は、民主主義や良い政府を作るための条件に恵まれてないことが多い。石油などの天然資源生産国であったり、不平等な農業社会であったり、単純に不平等度が高かったり、民族紛争が多かったりする。また、途上国の政府は腐敗の多い非民主的な政府であることが非常に多い。
カメルーンの長期独裁者であるポール・ビヤは外国援助から得た政府収入の41%を懐に入れてしまう。

というように、ガバナンスが悪い国は民主主義は向かないのだ。富者に市場があり、貧者に官僚があるものだ。

常に政府を通じた働きかけをすべきという妄念は振り払うことを提案したい。しかしながら、援助国に対しても、ショック療法や画一的な計画の推進には絶対反対していかなければならない。段階的に、小刻みに、実験的に行うべきで、また対策は国ごとやセクターごとに異なるのであろう。

なので、西側のフォーマットを挿入したり、官僚に任せるのではなく、きちんとした尺度を持って、そこに責任を負わせる形で支援プログラムは作り込む必要がある。

政府とドナーが協働すれば、一定の成果を上げうるということである。ここでも、教育や電力生産のような具体的な成果を達成しながら小刻みに計画を実施する方が、腐敗の防止や経済成長の刺激といった努力が計測し難い一般的なプログラムを実施するよりも、成果が大きいと考えられる。
世銀は1990年代初頭、バングラデッシュの少女たちの就学率を高めるために、学校に出席したら親たちに現金を支給すると言う教育のための食糧プログラムに資金支援を行った。このプログラムが実施された地域では、女性の就学率が倍増した。

これは一例だが、はっきりした成功の尺度があれば、トップダウン型の援助活動であっても機能している。

援助期間は長期ビジョンに向かって前進中であると考えたからである。開発の「成果」にどれだけ援助機関が貢献したのかが不透明だから、援助期間のプランナーは開発へどれだけ「投入」したかを宣伝しようとする。重要なのは援助を必要とする特定の受益者のフィードバックなのであり、先進国ロビイストからのフィードバックは貧しい人々の意見を反映せず、事態を改善するどころか、逆に悪化させてしまう。

目標は見えやすく、成果は見えにくいので、前者のインプットにコミットして反響を取りがちなのが支援。

なので、プランではなく、支援を本当に必要としている人に詳しいサーチャーに援助を任せ、施策の効果を実験的に把握し、援助がどうしたら貧しい人々の役に立つか参考にして援助を進めるべきだということがわかった。









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