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思考の形跡。(後編)/2020.12.30

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最近、ZOOMやTeams(チームス)を使うオンラインmtgが日常化している。圧倒的にオフィスを出る機会を失った。よって、オフィスで仕事をする機会が増えた。ちなみに、ZOOM、Teams以外で言えば、「Skype」が以前は多かったが、実は最近、「現在Skypeをご利用できません」ばかりで、Skypeが使えない状況です、、あしからず。(あくまでも僕のPC?ログインの状況にもよるけど。。)

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さて年末、地元青森県弘前に戻って参りました。弘前で2020年3月に立ち上げたばかりの弘前BRICK株式会社の最終営業日が12月30日(水)。さっそくいつもお世話になっているスタッフが朝早くから「雪かき」をして、お客様のお越しをお待ちしているのですが、今日からあいにくの「大雪情報」。早朝より、総支配人板東(ばんどう)とともに、作業開始。。午前の時間もあっという間に過ぎていきます。午後からは面談、打ち合わせ、おせち引き渡しとまだまだ作業が続きます。。

さて、思考の形跡後編。

「アイディアの剥奪」を産んだ2年間の苦悩

以前僕が「くも膜下出血」で倒れたことを記載しましたが、実はそのタイミングで、僕も知らなかったことが起きていたことがありました。

それは「アイディアの剥奪」です。

僕にとって、その時はとても大きな「アイディア」で(その時は、です)、そのアイディアをきっかけに、事業拡大ふくめ大きく動いていく要素でした。

そのために、ロゴデザインからウェブ、事業体制、資金調達も検討しておりましたが、僕が倒れてから、資金調達(×、総スカン)→事業体制(×、事業譲渡から大量の人材解雇)→ロゴなど(×、お蔵入り)という順番で流れが変わり、その流れから負のスパイラル、それまでの投資が「負債」に変わり、ここ2年間で借り入れ含め3000万ほど返済、売り上げも2期分で一気に1/5まで下げた上で、事業調整を実施、利幅を増やし「変貌(当時から比べると大変貌かと)」しました。

倒れてから2年。

正直、そのアイディア自体を水に流し、次のステップへ、と検討しておりましたが、なかなかめどがただず「それこそ倒産したほうがよいのでは」と思うようなタイミングが、実は2020年1月にありました。

妻や身内にも相談し、oiseau最後の海外出張と思っていた香港から戻ってきたタイミングで、コロナ禍に突入しました。

ものすごいことです。

これまで自分の支えとなっていた飲食業界が、あっという間に苦難へ。

その苦難を乗り越えようと果敢に攻める人、正直厳しさの中で耐え、泣く泣く事業を畳む人、そのたたむこともビジネスとして、そこから頑張る人、色々な人たちを、この春からみてきました。

そして自分自身も4月に新しい会社を、そして7月にはoiseauで請け負う仕事を、改めて別会社(親株主ですが)で受け直し、運営をはじめました。

とはいえ、本部であるoiseauをどうしていくのかは、まだ手付かずのままです。それでもおかげさまで、夏、秋と乗り切り、冬の今、こうしたコロナ禍の中、大きな企画を5、6本ほど動かしつつ、新たな体制を築かねばならないタイミングも出てきました。

とはいえ、コロナ禍は酷い2020年。

正直「どこまでもつか?どこまで続くのか」がわかりません。

先日も、とある事業計画をみておりましたが、相変わらず、コロナ禍前の、事業計画で、正直辟易したのを思い出しました。飲食店で500万、1000万を常時たたいていく(売り上げを作っていく)「強さ」は半端ないと思っています。

先日、2016年から書き連ねてきた光文社「和食スタイル」の僕の連載が幕を閉じました。

通算100回。

普通であれば、本にできそうな内容ですが、倒れた時は、光文社の計らいで、一時ストップ、そこから月4回の連載から月2回の連載に変わり、和食というよりは、松田の日常をレポートする内容に切り替わりました。その月2回のアップが、僕自身のバロメーターであって、2018年〜2020年の軌跡が読み解けると思います。

https://washoku-style.jp/blog

その100回目。

僕が自分に説いたのは「果たしていま、FoodniaJapanなのか。(以下FJ)か」というものでした。

なぜか僕自身「FJ」という言葉は、気になっていました。それこそこのブログ自体に名前をつけるときにわざわざFJとつけたくらい。

ちょうど1回目の記事があったので、引用させていただきます。

わたしたち日本には誇れる土地と風景があります。

その土地を巡り、そこで出合う人、
食材や食べものを紹介していく連載を始めることになりました。

私の仕事は、「食業プロデューサー」です。

食生活に関わること、それは、農産物や料理だけではなく、
そこにまつわる、例えば食器や家具、プロモーションから製造工程まで幅広く
見つけ、育て、伝えていく仕事をしています。

こうした活動をすることになったのは、
私が、過去に報道カメラマンの仕事をしていたことがきっかけです。

まだまだ知らない土地や人、食材、食べ物の情報があります。
一方で、バレンタインやお歳暮のように、毎年たくさんの情報が世間に溢れかえります。

けれども、本当にみなさんが欲しい情報が必ずしも届いているでしょうか?
安心、安全、誰が作っていて、どんな商品になるのか。

そうした情報を扱い、ただ伝えるのではなく、
共感として「伝わっていく」ことを私は大切にしています。

なにより食は、私たちの体や健康を作る源ですから、
切っても切れない関係です。

だからこそもっと知りたいし、専門的な知識はなくとも、
すこしでも知ることで、世の中の食のことがもっと身近になり、
少なくとも、自分の口に入るものが変わってくるはずです。

今回の連載では、まだまだしらない日本各地の食材をメインに、
皆様にお届けできればと思っています。

ブログを100回書き切って、改めて感じたのは、日本という土地が「食に対して清純」であると認識したことです。

逆に日本で生まれたこと感じ、尊ぶ気持ちが心地よいと思っています。

そのFJも1回目と100回目では訳が違う。

1回目は、正直このスタンスの先には次がある、次の展開、次の事業拡大があると信じていました。

一方で100回書き終えたときの「疑問」が、僕の中で「新鮮」でした。特にコロナ禍だったからもしれません。それだけFJと向き合うのは正直リスクだなという感覚が出てきたのは確かです。

アイディアは「思わない時にやってくる」。

実は冒頭「アイディアの剥奪」と書きました。
それは「FJ」自体を事業化できないかと思っていたのです。

もちろんブログを書くことが仕事になるという意味ではなく、どちらかというと「スタンス」「立ち位置」のことで、気分一新するということ。

特に自分が思うこと、やっていること、やっていきたい延長線上に、FJのイメージが合うのではと感じていました。この感覚は倒れてから、今の瞬間まで続いているイメージです。

しかしFJを、例えば法人化するとしたら「他にFJをやっている人(もしくはすでに会社名として使用している会社)がいては、そもそも難しい」と思っていました。2017年当時は、だれも法人化していなかったのですが、倒れて復帰した後、2019年頃でしょうか「とある知り合い」が知らずに、法人化していたのです。少なからずショックでした。

知った当初は、気にしなかったのですが、
やはり気になりまして、早速協議をし、ようやく終了。
2020年11月に、商号変更していただき、FJ社はフリーになりました。(もちろんこの時点で商号を登記する人が現れたら、もっと協議が必要ですw)

実は、会社名を変更します。
会社名をoiseau(オアゾ)から変更することにしました。

僕が倒れてから丸2年、お時間をいただきましたが、
2021年新たな活動として「FoodniaJapan」を進めていきたいと
考えています。

これまでのoiseauのこと、これからのFoodniaJapanのことについては、また追って。

なによりあっという間の2020年でした。
風の時代、風は吹くのを待つのではなく、風はいつも吹き続けいている。だからこそ、その風にならないといけない。2021年、その風を感じています。

それではみなさん、良いお年をお過ごしください。

2020.12.30 松田龍太郎

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