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生徒指導をポケモンGoだと思うようにした話

僕の出身高校は校則がほぼ無い。唯一の校則は「室内では上履きを履くこと」というルールのみ。自由な高校生活。

大学生になったら当然校則なんて無いから自由を満喫した。バンド活動を始めたので生活がどんどん不規則になっていく。飲酒・喫煙(僕は喫煙者では無いが・・・)・昼夜逆転の生活。

そんな人間が私立の教師を始めて最初に思ったことが

「え?校則ってこんなに細かいの?」

ということだった。第一ボタン、髪型、靴の履き方。僕が高校生の時は全く気にしなかったことを立場が変わって教員になったら生徒に対して注意をしなくてはいけないらしい。

「これは仕事だ。仕事なんだ。」そう思わないと生徒に注意できない。

「校則違反の注意をする」→「生徒から嫌われる」→「それでも注意する」→「もっと嫌われる」

生徒指導という仕事を頑張れば頑張るほど生徒から嫌われるという負のスパイラル。校則を合理化したいと思ってるけど現状なかなか進まない。

でも生徒に注意をしなければしないで、教員という仕事をしっかりやっていない感がある。周りの先生に申し訳ない気持ちになり自己嫌悪に陥る。これが本当にツラくて、ツラくて。

この文章を読んでいる人もちょっと考えてもらいたい。「人に注意するのってしんどくないですか?」

「校則なんてどうでも良い」とか言いたいけど、教員を長年やっているので、生徒指導の大切さもわかっている。でもわかっていても、あまりにも生徒指導という業務がツラかったので、何年か前から考えを変えるようにした。そうしたら少し楽になった。その考えとは

生徒の違反を「ボケ」だと思うようにしたのだ。

第一ボタンを開けていたら、「第一ボタンを開けているというボケ」だと思うようにした。ボケに対してツッコミが無かったら生徒は教員から無視されたことになる。そうしたら生徒が可哀想だ。

これは「注意」ではない。「ツッコミ」という愛情表現なのだ。

と思うようにしてから生徒の違反に対して前ほど腹が立たなくなったし、積極的に注意が出来るようになった。

モノは考えようである。

最近では、このツッコミの比喩も飽きてきて、生徒指導=ポケモンGO説が自分の中で流行っている。

説明すると、何か違反、例えば第一ボタンを開けている生徒がいたら、第一ボタンを開けるというポケモンだと思うようにした。

ポケモンに会ってしまったらゲットしなくてはいけない。

この考えを取り入れたら、これはこれで生徒指導をゲーム化することが出来て気分的に楽になった。

でもやはりこの言葉に出会ったことが一番大きい。この言葉で生徒指導に関する考えが180度とまではいかないけど、100度くらい変わった。

リーガルハイ2の最終話での古美門の言葉である。時間あったら動画で是非確認してもらいたい。

「人の醜さを愛せ」これ至言だと思うんだよな。

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