ただし島は除く
夜10時の船で仕事に向かう。
完全に日常から外れているのに仕事というごりごりの現実なので、先週からずっと面倒だなと思っていたが、いよいよ憂鬱だ。
とりあえず船には乗れたが、夜景をすすめる放送がかかりなおなお憂鬱だ。見ないとダメですか。
島といえば俊寛である。
今月の演劇界で、海老蔵が俊寛をやったと知った。何というか、ええと、意外だ。
俊寛といえば勘三郎さんが硫黄島の野外でやっていた。ひとり島に取り残された俊寛が、遠ざかる船を海に駆け込みながら必死で見送り、何もなくなった夜の海をじっと見つめるのをテレビで見た。
それは印象的だったのだが、俊寛をやりたくなるタイミングというのは何なんだろう。他に見たことがあるのは仁左衛門と吉右衛門だが、寺院は古いほうが良いというのに似た詫び錆び感がある。
辛かったり嬉しかったり悲しかったりというのをじっくり型でやれるので、大人になると挑戦してみたくなるのかな。
しかしこれ程いろんなところに行き来しやすくなっても、島というやつは本当に遠い。住むことにでもなれば、なまじ外国よりも決意のいることのようにすら思える。ちょっと出張に行くぐらいでこれだけ面倒がっているわけですし。いや、島が嫌なんじゃなく、仕事で日帰りの往復がね…。
島流しという罰について、島の住民は罪人が送られてくることをどう思ってたのかしら。
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