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社会人になって生きづらさを感じていた自分が「普通じゃない」と気づいて生きやすくなったという話

ある日、私は「普通の人ではない」認定をされた

「Sさん(私のこと)はどうして普通の人にできることができないの?」

私は以前勤めていた会社で、Webデザイナーとして勤務していました。
ある日、その会社にて上司に直接言われたのが先程の言葉。

もともとケアレスミスや一度何かに集中すると他のことが見えなくなるくらい集中してしまう(後に過集中と呼ぶと知りました)ことが多い傾向にあることはある程度自覚があったものの、まさか「普通の人」にできることができないと言われるほどひどかったとは思いもしませんでした。

この言葉が自分の心の中に強く残り、当時は西新宿ビル群の中にある公園の片隅で、お昼休みに泣きながらパンをかじっていた記憶があります。

「自分の何がダメだったんだろう」
「どうして自分の工夫はうまくいかないんだろう」
「誰の役にも立てない自分はなんてダメな人間なんだ」
「自分には何もない。生きている価値なんてない」

負の思考スパイラルに嵌まり、会社では「とにかく先輩・上司に怒られないように」を優先した結果、更にそれがミスを呼び上司の不興を買う結果へと、とにかくどん底へ落ちていきました。
やがて会社でまともにタイピングすることすらままならなくなるほど体が震えるようになり、そこで社内の方、家族から勧められて精神科を受診することになりました。

今まで自分は自分のことをちゃんと知らなかった

精神科を探す上で身近に精神科のクリニックで働いている人がいたこともあり、きちんと情報を仕入れた上で信頼できそうなクリニックを2つ探し出して受診しました。
※2つ受診したのはセカンドオピニオンも考慮したため

結果だけ言ってしまうと、

  • 反復性うつ病性障害

  • ADHD(俗に言う発達障害)

であることがわかりました。セカンドオピニオンでも同じ診断でした。

驚き9割、納得1割といったところでしょうか。
当時の自分はまさか自分がうつ状態の可能性はあれど、ADHDだとは夢にも思っていませんでした。学生時代までは何も大きくつまずくことがなかったため、なおのことでした。

しかし、それからWAISテストを受けてその結果を見たり、これまでの人生を振り返った中で苦しかったエピソードが「ADHDとうつ病性反復性障害に由来するものである」と考えると至極納得のいくものでした。

我ながら晒すのも中身の書き方も恥ずかしいですが、大学を卒業してから2019年までの社会人経歴・エピソードは以下のようになります。

  • 大学卒業。もともとイラストレーターになりたいと思っていたが自分の実力では足りないことが解り、並行して学んでいたデザインの知識を活かしてWeb制作スキルを取得。卒業した年の夏に最初の会社にWebデザイナーとして入社。

  • 1年目、自分に任されたプログラム開発案件が炎上。全く鎮火できずに会社に助けを求めたところ、社長直々に「克己心が足りない」と言われ、心が折れる。
    そこから半年休職。復帰して2ヶ月後に転職。(在職期間: 1年と半年、実働期間: 1年)

  • 2社目、広告代理店に広告ディレクター(事実上の制作部隊)として入社。最初の半年は某大手求人広告の制作を担当。
    半年が経過した頃、「イラストが描ける」「Web制作スキルがある」などの理由から、当時の勤務先では初めてのゲーム開発案件(一時期東京を走っていたタクシーのゲームアプリ)にアテンドされる。

  • 人員は上司のクリエイティブディレクター2人の下に自分がディレクター、その下に外部下請け会社、フリーランスのデザイナー、イラストレーターという構成。
    上司とクライアント(タクシー会社)の決めた納期が6ヶ月ということと、通常の求人原稿作成も並行する必要があったためとにかく残業の毎日。後半2ヶ月弱の間、(残業が上司にバレると怒られるため)朝の始電で帰宅、1時間寝て出社の日々(疲れをあまり感じなかったのは過集中が働いていた模様)。
    ※ちなみに給与は固定残業制だったため、残業代から残業時間がバレることはありませんでした。

  • 結果、アプリは無事リリースできたものの、燃え尽き症候群を発症。
    会社を辞め、その後はフリーランスのクリエイターとして活動。
    (在職期間: 1年と2ヶ月)

  • フリーランスに転身してから3年目の2019年、「やっぱり一人で仕事していると寂しい」と思い、仲間を求めてIT企業にWebデザイナーとして入社。
    そこで「普通の人にできて~」と言われ、心が折れた結果退職。
    (在職期間: 3ヶ月)

…長々と垂れ流してすみません。しかし本当にこんなまともな社会人とも呼べないような経歴があったのは事実で、変えられないものです。
当時は「なんで自分はこんなにうまくいかないんだろう」「どうして普通の人間のはずなのに普通の人生送れていないんだろう」「そもそも普通ってなんだ」ととにかく自分を卑下し、自分の人生に諦観し、なんとか世間一般で呼ばれている「普通の人」になろうとしていました。

先生に言われた一言「普通じゃなくたっていいじゃない」が人生を変えるターニングポイントを作った

そんなこんなで自分自身の理解はたしかに深まりました。
しかし同時に「普通の人でない」ということに納得と安心が半分、焦りが半分という心境でもありました。

少し話が逸れますが私には兄がいます。
兄は自閉症(中程度)なのですが、そのことで後ろ指を指されることが多々ありました。ありもしない偏見の目で見られる兄を守りたい、守ると思い生きてきたつもりです。
私自身は兄とはとても仲がよく、「兄が自閉症である」ことは何でもない日常の1つで、「(世間が言う)普通じゃない人が家族であること」が普通でした。

そんな中、自分が「普通ではないこと」に焦ってしまったのです。
「普通じゃない自分がどうやって家族を守れるのか」と。

何より、「他者から普通じゃない人と認識されること」に恐怖していたのです。ネットで飛び交う「ガイジ」という差別用語に自分も当てはめられることに当時は心底怯えていたのです。
そんな自分の胸の内を明かしたところ、先生に一喝されました。

「どうして普通であろうとするんですか?世の中の定義する【普通】とはどんなものですか?」
「あなたは過去の自分自身を全て否定してまで普通になりたいのですか?これまで積み重ねてきたものは全て『普通でいた自分』が積み重ねてきたものなのですか?」
「違いますよね?あなた自身は誰でもない、あなたです。普通じゃなくたっていいじゃない。ありのままのあなたが育んできた、積み重ねてきたものを大切にしましょう」

この言葉で目から鱗、涙が出ました。

確かに、これまでの自分が残してきた人間関係もスキルも何もかもが「ありのままの自分」が積み重ねてきたものでした。
それはどう足掻こうが良くも悪くも不変なものです。
同時に、こうやって「(普通ではない)自分の存在を許してくれる」人がいることに感激しました。

それから、自分は少しずつ変わり始めました。
「普通になること」を目標にするのではなく、「普通ではないけど、人生を送れていることを誇ること」を目標にしようとおもいました。

「普通ではない自分」にも武器はある(上図は学生時代のスケッチ)

折れてもむしられてもまた元に戻ろうとする、そんな自分が好き

話は飛びますが、今日現在、私は「精神障害者手帳」を取得し、とある特例子会社で勤務し、副業でデザイナーもやりながら生活しています。

今日に至るまでにあった出来事の中には様々な人との出会いを通じて得た温かな気持ちや体験、もちろん挫折もありましたがそのおかげで今の自分が存在しています。

「普通の人ではない」認定されたときの思い出は確かにトラウマものではあったのですが、同時に今の自分を形作った大きな転換点にもなりました。
そのように今回顧できるくらいには自分の心はたとえ折れても戻るだけの力があり、むしられてもまた生えてくるくらいの生命力があるなと思えています。そんな図太い(?)自分は好きですし、これからもそう有りたいと思います。

最後に、こうした拙くも文章に書き出せるくらいには割り切ることができている自分の環境、温かい言葉で応援してくださる人、たくさんの存在に支えられていることに感謝します。

もし気が向いたら2019年に会社を辞めてから手帳を取得、今日現在まで2年以上働き続けられていることの詳細を書きたいと思います。

拙文を最後までお読みいただきありがとうございました。

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