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自らの手で青春の物語を紡ぐこと

何かの組織に強い帰属意識を持っていて、その組織が誰かによって脅かされそうものならそれを組織全体で徹底的に潰そうとする。自分個人の利益よりも組織の利益を追求する生き方をしていて、自分の存在が組織にとって負の影響を与えるなら静かに立ち退く。そんな人生が、そんな世界が美しいと「ブルーアーカイブ」をやってて思ったんだけど、これはちょっと古い日本人の考えかな。

高校に帰属意識が無かったから私は卒業式で感極まったりしなかったし、日本に帰属意識が無いからこのままの政治体制じゃよくないと言われてもどうでもいいし、家系に帰属意識が無いから結婚して世代を繋いでいこうとは微塵も思わない。

では個人主義かと言われるとそうではなく、一緒にいて楽しい人達とだけコミュニティを形成する。それはちょっと受動的。自分から、自分の今いる組織をより良くしようという能動的な生き方ではなく、自分の住みやすい場所に“移っていく”生き方。
それがなんだか、面白くない。そう思わない?

真っ先に考えられるのは、オンラインで世界のどこにいる人とも簡単に繋がれるようになったのが原因だということ。わざわざムラに帰属して一生を終えるのではなく、世界の様々なコミュニティから自分に合うものを見つけてそこに移住する。移住するといってもそれはオンラインでの話で、肉体は依然としてムラの中にある。
寝て、食べて、排泄をするだけのための場所。出来る限りムラの住民たちとは関わりたくないという思いでこそこそと生活している。頭の片隅には“もっといいコミュニティ”が常にあって、“今、ここ”のことなんか機械的にしか考えない。

漫画の世界では日常的に「国のため」「仲間のため」「家族のため」に命を賭して戦っている人が多い。私たちはそれをあくまで“漫画の世界”と捉えている。自分だったらファミリーのために腕が吹っ飛んでも“敵”と戦うのだろうかと現実に落とし込んで考える人はあまりいないだろう。妄想の世界では剣か魔法かを使って仲間のために戦っている、という人もいるかもしれないがそれは妄想の世界であって、虚構であって、自分の好きなコミュニティである。

血飛沫を浴びるような戦いはなくとも、今属している組織の存続の危機なんかはあるだろう。「ラブライブ!」では主人公の高校が廃校になるというところから物語が始まり、高校を廃校にさせないために奮闘する。私だったら学校に帰属意識はないのでそんな真似は出来ない。加えて確かこの主人公は家に対する帰属意識もかなり高かった気がする。ただアニメを見ていて思うのは、こういう生き方のほうが楽しそうだということだ。もちろん彼女が賭けているのは命ではなく青春だが、それも同様に素晴らしい。

宗教絡みの戦争などはこれに近いのではと思ったが、あれは宗教を口実にした政権争いなどと聞いたことがあるのではっきりしない。

やはり理想的なモデルケースは「ブルーアーカイブ」に描かれている。アビドスであったり、トリニティやゲヘナであったり、あまり詳しくないので間違ってたら悪いけど、おそらくキヴォトスではそれぞれの学園が代表する自治区がいくつもあり、地方分権のようにそれぞれの区が法を定め生徒たちで自治しているのだと思う。この「生徒たちだけで自治している」という形態が私には羨ましく見える。青いグラデーションの濃い場所にいる彼女らはその青を涙で薄めながら生きている。彼女らが大人になったらどうなるのかと私は想像できない。おそらく大人になることはないのだろう。なぜなら涙だけでは青は消えないし、誰もが一人じゃないから。帰属できるコミュニティがあり、そして生徒に対する“先生”がいる限り青春が潰えることはない。

他人の青春の物語Blue Archiveばかり見ていないで私たちは私たちの青春を作る。そんな感じに生きたいな。

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