「聴く」ということ⌇対話のコミュニティ
2023年5月9日 対話会
対話のコミュニティの活動に参加しての気づきや学び、思考したことなど、徒然なるままに残しておきたい。
対話練習
初めての対話会。対話の練習をしつつ相互理解を深める場。
対話は「話す」ことと「聴く」ことに分解できるけれど、まずは「聴く」ことに焦点を当てていく。
ナチュラルに「聴く」と表記しているけれど、そもそも「きく」という単語には色々な漢字が当てはめられる。
対話における「きく」の場合だと、「聞く」「聴く」かな。
この漢字への理解も深めておきたい。
「聞く」 と 「聴く」
意味と成り立ちを調べてみた。
「聞く」
「聴く」
「聞く」 と 「聴く」 の使い分け
小学生の時に習い、日常的にもよく使う漢字。
知っているつもりになっていたけれど、意外と知らない意味もあるし、成り立ちを見ると更に、似て非なるものだと感じられる。
やっぱり、対話における「きく」は「聴く」なのだ。
対話会で思考したこと
聴く=主役
今回の対話会における主役は聴き手。
対話力を上げるために「聴く」のだ。
今回、聴き手の時に意識したことの一つが、相手の言葉を言い換えないようにすること。
以前、カウンセリングの練習の場で、話し手は「クリニック」と言っているのに、私は「病院」と言い換えて聞いており、相手が意志を持って選んだ言葉をそのままに聴けなかったことを、それだけで話し手が安心して話せなくなることを思い出したのだ。
「そのまま聴く」と書くととても単純そうだけれど、結構難しいのである。
自分ではかけるつもりがなくても、知らず知らずのうちに色眼鏡で見ており、フィルターがかかっているのだ。
しかし、そのまま聴くことに集中しようとすると、話し手が話しやすくなるような相槌や返答、雰囲気作りがうまくいかない気がしたり、そのまま聴くことに意識が向き過ぎて話が右から左に流れているだけのような気がしたり、話の中身を聴こうと思うと聴く練習ポイントや意識していることが頭から抜け落ちていたり。
今はまだ始まったばかりだし、最初から完璧になんてできるわけがない。
もっと練習したり、考えたり、みんなを観察したり、試行錯誤したりして聴く力を上げていきたいと思っているところである。たとえちゃんと聴くことができていないような気がしても、自分の常識に当てはめて聞くってこういうことなのかと改めて考えるきっかけになったし、自分の常識を外して、相手の言葉をそのまま聴き、尊重できるようにありたいと思った。
それも気付きで、きっと進歩だ。
自分を整える
「聴く」というのは簡単なようでとても難しく、耳を傾けてちゃんと話を聴くためには自分を整えておかないといけない。
整えるのは心も体もだ。
しかし、生きていると毎日いろんなことがある。
人間関係で何かがあったり、考え事や悩み事があったり、何かが気になったり、体調が悪かったり、寝不足だったり、疲れていたり。心と体を整えられなくなる要因はいくらでも思い浮かぶ。
心身は揺らぐもの。
そんな前提を持って、常時整えた状態を保つというよりは、自分の心身からの声もしっかり聴く。そして、揺らいでも声に気づいて心身ともに整える。そんな工夫を続けてみたい。
自分の心身を整えるための工夫ができるようになると、話を聴くことのみならず、あらゆることに生かされるはずだ。
失敗しても良い場所である
練習の場、失敗しても良い場である。
そう頭では分かっていても、優等生になりたい私が頭を擡げる。
自分はどう見えているだろうという意識が付き纏う。
ちゃんと聴きたい。相手にも安心して話せた、話しやすかったと思って欲しい。ちゃんと聴けたと思って欲しい。
向上心でもあると思えば、きっと、そう思うこと自体は悪くはない。
しかし囚われると、工夫や挑戦が、失敗ができなくなる気がする。
そこに気付けたわけだから、次は違う感じで対話会に臨んでみよう。
練習だもの、安心して失敗してみよう。
所感
本格的な対話やカウンセリングのみならず、日常の中で毎日話したり、聴いたりを繰り返している。そして対話会だけではなく、様々な場面で話を「聴けて」いるだろうか、「聞く」になってはいないだろうかと考えもした。
日々を思い出しては、何かをしながらとか、相手に向き合わずにとか、フィルターをかけてとか、「聞く」になっている瞬間ばかりが思い浮かびとても反省する。
「聴く」姿勢を日常の中にも意識的に取り入れていきたい。
来週は2回目のミートアップ。今から楽しみ。
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