カショオコンプレックスだった
この記事には食べて吐く行為、過食嘔吐に関する記述が含まれます。苦手な方はご注意ください。
…と前置きしたのも、私がかつて過食嘔吐に対して強い嫌悪感を抱いていたからです。
もっと言えば、食べて吐く人を軽蔑すらしていました。現在はその当事者であるにもかかわらず、過去にはそう思っていた時期があるのが事実です。
それは、当時私が吐きたくても吐けなかったことへのコンプレックスの裏返しでもありました。
私は摂食障害になって22年ほどになりますが、ずっと過食嘔吐をしていたわけではありません。
最初は極端なダイエットから拒食(全く食べない)になり、のちに長い非嘔吐過食(吐かずに過食だけ)の時期を経て、最後には嘔吐するようになって現在に至ります。過食嘔吐は始めてから約5年ほどです。長い摂食障害人生の4分の1にも満たないぐらいです。それほど非嘔吐過食の時期が長かったのです。
非嘔吐過食の頃、私は太っていました。体重は今より10kg以上ありました。
学校などでも周りからデブとイジられるほどでしたが、イジられキャラとしてやり過ごしていました。
当時私は2ちゃんねるの住人(ROM専)で、メンタルヘルス板の摂食障害スレッドを毎日見ていました。
その頃摂食障害スレは非嘔吐専用と過食嘔吐専用に分かれていましたが、非嘔吐だった私は過食嘔吐のスレを見ることは一切ありませんでした。
なぜなら吐けないで太っている自分に対して、吐いて痩せている人たちが羨ましくもあり、妬ましくもあったからです。吐いている人たちはずるいとまで思っていました。
2ちゃんねる以外でもネットで非嘔吐過食についての記事などを読むことはありましたが、過食嘔吐の話題が出たらその時点で見るのをやめました。吐けない過食で苦しんでいた頃は、過食嘔吐に関する情報に一切触れたくないほど強い嫌悪感を抱いていました。
吐けなかった頃の私は、吐けるなら吐きたかったのが本音です。過食した後、また太ってしまうという強い後悔がありました。でも過食はやめられない。これが吐けたらどんなにいいだろうと思いました。
一時期は、過食した次の日に絶食するという極端な方法で体重を標準まで減量してなんとか保っていました。それは社会人になってからのことでした。
過食と絶食を繰り返す時期が最も苦しかったように思います。吐けないことへの劣等感がある一方で、私は過食嘔吐とは違って吐かずに体重をキープしているという一種のプライドのようなものがありました。吐くようになったら終わりだと思い、過食の後に絶食することを徹底していました。
その生活にも限界を感じ、ある日メンタルクリニックを受診し過食について相談したときのことです。
初めて私を診た医師は、「過食している割には太っていませんね。吐いていますか?」と私に聞いたのです。
そのとき私は内心穏やかではありませんでした。必死で絶食しながら体重・体型を維持しているのに、プライドを傷つけられたような気分でした。
さらに医師は私の体重を聞き、その場でBMI計算を始めました。
「BMIって知ってますか?あなたは標準ですよ。」
そんなこと当然わかっています。長く体重に振り回されてきて、BMIなんて知らないわけがありません。何だか自分の症状を軽く見られ、馬鹿にされたように感じて二度とそのクリニックに行くことはありませんでした。
ここからは過食嘔吐になったときのことを話します。長く吐けなかった私が吐けるようになったのはまったく偶然の出来事でした。
食べ放題に行き、食べすぎて苦しいまま帰ってきた日のことです。日頃から過食を繰り返していたので苦しい感覚には慣れていました。ですがその日は本当に「なんとなく」でしかありませんが、吐き気というか、吐けるような感じがしました。
そしてそのままトイレに行ったらあっさり吐けました。「吐いた」のではなく「吐けた」という感覚は初めてでした。
それまでお酒を飲みすぎて気持ち悪くなったときぐらいしか吐いたことはありませんでした。そんな私が食べすぎて吐くことができてしまったのです。
それからたくさん食べて吐くのを練習(?)するうちに、自分なりの吐きやすい方法を見つけて過食嘔吐が習慣になっていました。
過食嘔吐になってしばらくして、周りからも痩せたと言われるようになりました。それが何より嬉しかったです。過食嘔吐をしていれば、デブとイジられることもなく、太ったと指摘されることもないという安心感がありました。
過食嘔吐を覚えた私は、もっと早く吐けばよかったとすら思いました。そうすればイジられて嫌な思いをすることもなかったのに、あんな惨めな自分はいなかったのに…と。
過食嘔吐で得たものの代わりに、失うものも大きかったのは言うまでもありません。それは今回は割愛しますが、食費がとにかく掛かるのです。今もそれが一番の悩みです。
私はTwitterを始めてから、摂食障害患者の一人として過食嘔吐のことについても発信しています。
同じように摂食障害で苦しむ方とやり取りし、悩みを共有することもあります。
たくさんの人と共感し合えることが何より嬉しく、私にとってTwitterは大切な居場所の一つです。
ですが時々、過食嘔吐である私の発言を不快に思う人も少なくないのではと考えるのも正直なところです。
かつての私のように、過食嘔吐に対して嫌悪感、あるいは劣等感を持つ人もいるかもしれません。
単純に、吐くなんて汚い行為だと嫌な気持ちになる人もいると思います。
それでも同じ悩みを持つ人と繋がりたい気持ちでTwitterを続けています。
摂食障害以外のことでもそうです。夜職に始まり、今では発達障害などについてもたくさんの人と気持ちを共有できる貴重な場です。
リアルの世界では決して人には話せないようなことも、Twitterでは受け入れてくれるからです。
そんなTwitterの中でも、情報の受け取り方は人によって様々であるというのは改めて考えるべきだと自身の経験から感じています。
私はなるべく摂食障害に関しては悪影響になるような発信は避けているつもりです。例えば具体的な吐き方などについては触れないようにしています。
慎重になるべき話題もあるという自覚を持ちつつ、これからもTwitterを続けていきたいです。
様々な情報で溢れるTwitterですが、取捨選択をしながら適度な距離感を持って楽しめれば何よりだと思っています。
だいぶ本題とずれましたが、今回はカショオコンプレックスだった話をさせていただきました。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
どうかTwitterが皆様や私にとって、少しでも生きやすく、居心地が良いと感じられる場所でありますように(最後まで頑なにXとは言いません)。