大阪に行きたい

大阪に行きたい。

ここ最近、僕はこれだけを願って日々を過ごしている。
大阪は母の実家がある関係上、何度も行ったことがある。それ以外にも幾度となく遊びに行ったこともあるし、対して地理関係も詳しくないくせに「第2の地元」みたいなふやけた感覚さえ抱いている。今になって急に「大阪に行きたい」なんて切望するような場所ではないはずなのだ。
しかし僕は大阪に行きたくて仕方がなくなっている。
なにも今日明日、いきなり大阪に行きたいというわけではないのだ。来年、もっと言えば来年の4月13日以後10月13日まで半年の間に大阪を訪いたいのだ。ここまで書けばピンとくる人もいるに違いない。そう、僕はあの「2025年日本国際博覧会 Expo 2025 Osaka, Kansai, Japan」にめっちゃ行きたいのだ。

大阪万博、少しググれば出るわ出るわ、批難の嵐である。一体誰がこのゴミイベントを望んでいるのか、そりゃあ万博で利益を得られる一部の人は望んでいるだろう。しかし国民の大半は利益を得られるわけでもない。吉村やら橋下やらなんか偉そうな感じの関係者さんたちやらが声高に掲げる万博の意義はひどくあやふやなものばかり、彼らが唾を飛ばしながら「万博ってすごくいいんだよ!」と訴えるのを聞いても「あー、わーったわーった、とりあえず中止しろや、つーか死ね」以外の感想を抱きようもない。国民の、いや、ひいてはこの地球に生きるほぼすべての人類が望んでいないし特段興味も抱いていないイベント、それがこの大阪万博なのだ。
それを僕は観たい。すごく観たい。
なぜそんなに観たいのか。もちろんその惨状を嘲笑いたいからだ。

僕は数年前、東京オリンピック2020大会という催しに大会関係者として関わっていた。はっきり言って思い出したくない過去である。東京オリンピック、それはまさにゴミであった。文句や不平不満はどれだけ言葉を重ねても表現しきれるものではない。
大阪万博を語るとき、この東京オリンピックを引き合いに出して比較されることがよくある。大阪万博に対しては、あの大失敗に終わったゴミスポーツ大会に肩を並べるほどのゴミ、という評価がすでに定まりつつあるのだ。あれだけの大失敗を踏まえた上でさらに大失敗をしよう、という酔狂極まりない国を挙げてのアホな試みである。さすがお笑いの街、大阪はやることが違う。
私たちのような庶民には想像もつかないような巨費を投じて作られるゴミ、それはどんなゴミなのか。そのお金を有意義に遣っていれば…僕はそんなことを思わず考えてしまう。それを考えないような人がやっているイベントなのだ。

大阪万博はもう派手に動き出している。どんなに国民がこぞって反対をしたところでもはや中止になりそうな気配はない。そう、東京オリンピックの時もそうだった。あの時はコロナについてもよくわかっていないところが多く、人々を生命や健康、安全を優先するならあんなゴミを開催してはいけなかった。なのにゴミは開催された。ゴミの分際で人々の生命や健康よりも優先すべきもの、とされたのだ。もしもパンデミックが発生し多数の国民が罹患し、死者も出たところで「まあ、いいんじゃね?」という判断がなされたのだ。
その理由は金だった。くだらないメンツだった。
しかし開催してみれば別に言うほど金が儲かったわけでもなかった。いろんな人のメンツが見事に潰れたし、なんなら逮捕者もたくさん出た。森は何故か逮捕されなかった。ただいたずらに人々に危険をもたらしただけだった。あの轍を再び踏もうと言うのだ。踏んではいけないよ、我々はそういう教訓を得たはずなのにヘラヘラしながらバカがあの轍を踏みにいくのだ。身体を張った、すごいボケである。大阪、である。これは観にいくしかない。観てツッコむしかない。

最近は万博の開催を批判する向きとして、能登半島地震の復興に支障が出る、のような文脈を用いる方が散見される。
はっきり言ってこれはズレている。ズレまくっている。
地震があろうとなかろうとそんなもんは関係ないのだ。地震が起きなくても開催されるべきではないのだ。ただひたすらに無意味だし無駄だから止めろ、そう言って批判するべきである。
もちろん、万博の開催は復興の妨げになるのだろう。復興のみならず、その他いろいろなところの妨げになるのだろう。だがそんなことに頓着するような連中であればはじめからこんなゴミイベントをやらない。やろうとも思わない。だから復興を引き合いに出したところで聞く耳なんか持つはずがない。相手を理屈がわかり対話が成り立つ人種だと思っていてはいけないのだ。ただ「止めろ」を叫ぶ以外に方策はない。
トイレにかかる費用が2億円で〜〜みたいな批判もある。これも的外れだ。トイレの値段なんか関係ない。じゃあトイレを質素にしたらいいのか、という話にもなる。そうじゃない。止めろとにかく止めろいいから止めろさっさと止めろ、これだけでいい。

大阪万博、断言する。間違いなく酷い有り様になる。オリンピックはまだ一応はスポーツイベントだった。それも一流のアスリートが集ってのスポーツイベントだ。開催の経緯やなにやらをすべて考えないようにしてテレビ画面だけを眺めていれば楽しむことだってできた。
だが万博はそうではない。
白熱した試合があるわけでもない。真剣勝負があるわけでもない。熱狂する要素だってないし、連日テレビで流れるわけでもない。開催まで1年に迫った現在において国民の大半がそっぽを向いているという状況がひっくり返る要素は何一つとしてない。確実な失敗が約束されている。


だから来年、僕は大阪に行く。そう決めた。俺は大阪万博に行く。
そこで問題になるのがやはり費用の問題だ。
万博のチケットはたしか7000円とかだそうだ。僕にしてみれば、7000円という値段は東京⇔大阪の往復交通費に匹敵する金額だ。とても出せやしない。
だがそんなにチケットの価格問題を僕は危惧していない。
吉村はじめ、あのへんの連中がタダ券をバラまきまくっているという話を聞いた。そうでもしないと誰も来やしないのだ。その状況がすでに全てを物語ってるんじゃね? とも思うがそこには全力で目をつぶってタダ券をバラまいている。そしておそらく、そのタダ券があっても人は来ない。「こんなの絶対に行かない」と積極的に拒否する者だって少なくないはずだ。
となるとどうなるか、チケットがダブつきまくる。ダブつけば値段だって落ちるだろう。まあ…おそらく1000円以内でチケットは入手できると踏んでいる。なんならタダでいけるかも、とさえ思っている。もしチケットが入手できないまま大阪万博行ったにしても、万博会場周辺にうろついているダフ屋(どうせいるはず)にでも声をかければ、多少は吹っかけられるだろうがそれでも2000円でいける気がしている。

とはいえ、大阪へ行くには他の費用がいろいろかかります。せっかく行くんだから飛田にだって行きたいし、鶴橋で焼肉食べたりしたいし、宿泊は西成のドヤだけどそれはそれで金もかかるし。
ということで皆様からの喜捨を募ります。
大阪という街が維新のなんちゃらとかいうアホ集団のせいでいろいろ変わってしまったのは知ってます。もう行きたいとはそんなに思わない。でも万博に関しては行く。行かないといけない、そう思う。来年の話にはなるのですが、早くも今からお金を恵んでほしいです。なのでお金をください。どうかどうか、よろしくお願いします。

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