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BANKSY (ジョン・ブランドラー他)

「バンクシーの画集です。東京で開催されているバンクシー展に合わせて出版されたらしいです。¥3500。」馴染みの本屋さんの、この一言に飛びついた。「買う!」

アートの強みをまざまざと見る。
批評的視線、強いメッセージ(決して押し付けがましくはない、ただ、そこにあるだけ。)多産多死、怯まない、論破できない(論理じゃない、感じることだから。そもそも論破する必要もない。その後出てくる言葉は言い訳だろうから。)

何故痛いのだろう。どう感じるかはそれぞれ。見る人は自分というフィルターを通してアートを見る。論理を飛び越えて瞬時に自分事とさせる。

バンクシーのアートは常に今に生きている。時代の中に私はバンクシーを見、バンクシーの中に今の自分を見る。見て見ぬふりをしてきたことの多さに対峙させられる。だから痛いのだ。

それでも、やはり私の目を惹きつけるのは、バンクシーのアートの美しさ故だ。
数々のメッセージもこの美しさがなければ、おそらく、力を持っては届かない。

サルもネズミも子どもも皆美しい。

美の持つ力を考える。
真善美(いずれも、絶対は無く、人それぞれであろうが)の人を惹きつける所以を思う。快感か?(ドーパミンか?) 罪悪感か?

宗教絵画もまた、それぞれの時代において、思考を飛び越えて、感じさせるものだったのだろう。「神はいる」と。そして、論破できない。

私の仕事の一部には、子どもたちの論理的思考を鍛えることがある。その術を磨こうとすればするほど、論理ではないものの力に立ち止まることになる。

論破する必要はなかろう。(これは直感。)どっちもあるよ!って伝えればいい。本当かどうかは子どもたちが自分の足と目で確かめにいくだろうから。私は、自分もサルだってことを忘れないように生きていこう。

コロナ禍で2年ぶりの帰省となった娘に言われた。「あっ、お母さん『バンクシー』読んでんの?私、見てきたよ!」


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