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『乙夜之書物』に見る明智光秀の告白

 『乙夜之書物』では、明智光秀は、謀反の企てを、重臣たちに、篠村八幡宮ではなく、亀山城で告げたとする。


【現代語訳】 明智光秀は謀反を企て、「6月1日に丹波国の亀山城(京都府亀岡市荒塚町)から出陣して、中国地方に向けて出陣する」とお触れを出して、軍勢を亀山城に集めた。
 この時、斎藤利三は、丹波国の居城・黒井城と亀山城の中間に位置する笹山城(兵庫県丹波篠山市北新町)にいて、6月1日の昼頃に亀山城へ向けて出発した。斎藤利三が亀山城に着くまでの間、明智光秀は、斎藤利三を待ち焦がれ、「まだか、まだか」と言い続け、昼に斎藤利三が到着すると、明智光秀は、敷台(控えの間)まで迎えに行き、斎藤利三の手を掴んで奥へ入った。その他、侍大将が同伴していた。皆(斎藤利三や同伴してきた侍大将)を数奇屋(茶室)へ入れると、明智光秀は、上座にすわって、各々に向かって、しばらく目を閉じ、深呼吸をしてから、
「私は気が狂ったようだ」
と言うと、皆、(談笑をやめて)真顔になってた。その時、明智光秀が
「謀反は…」
と口を開くと、斎藤利三は言葉を遮って、
「その言葉を、ただ今までよく引き延ばされたことよ。(その言葉をずっと待っていました。)私が先鋒を務めます」
と言った。同席していた諸将は、斎藤利三と同意見であった。


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