見出し画像

徳川家康は寅年生まれ?卯年生まれ?

──数日早く生まれた事にすればよいのです。兎などいけませぬ。狼に狩られてしまいます。(於大の方)

『どうする家康』(第2回)は、於大の方の衝撃の証言で終わった。

 実は、徳川家康には、同年、同月、同日、同刻に生まれた弟がいる。樵暗恵最(父・松平広忠の菩提寺である広忠寺の住職)である。
 於大の方は双子を生んだという。当時は「双子は不吉である」として、片方を殺すことになっていたが、於大の方はヘンリー王子ならぬ「スペア」として、樵暗恵最を殺さずにおいた。「桶狭間の戦い」後、徳川家康が大樹寺で自殺すると、樵暗恵最が徳川家康(代役)になった。(おどおどして大樹寺に入った時の徳川家康と、堂々と出て来たときの徳川家康では人がかわったようだったという。)その後、徳川家康(代役)は、瀬名姫にばれないように距離を置いた(駿府時代には順調に2人の子を儲けたが、岡崎では夫婦別床だったのか、1人も儲けていない)のを、世の人は「夫婦仲が悪くなった」と伝えたという。(なお、村岡素一郎は、入れ替わったのは樵暗恵最ではなく、江田松本坊という祈祷僧と、ささら者(賤民)の娘・於大との子・世良田二郎三郎元信だとする。)

 一説に、樵暗恵最を生んだのは、側室・お久の方だというが、正室と側室の2人が、同年、同月、同日、同刻に子を生むとは奇跡である。また、当時には、「正室と側室が同じ年に男子を産むと、側室の子は殺される」というルールもあった。樵暗恵最を殺さずにおいたのは、やはり「スペア」ということであろう。ともあれ、「同年、同月、同日、同刻に生まれる」という奇跡は考えにくいので、徳川家康は、別の日に生まれたのかもしれない。

ところで、誕生日の変更って出来るのでしょうか?
「2/29生まれだが3/1生まれにしてもらった」
「3/31生まれだが4/1生まれにしてもらった」
という都市伝説は耳にしますが・・・。

 臨済寺(静岡県静岡市葵区大岩町)に「竹千代手習いの間」がある。そこに竹千代(後の徳川家康)自筆の書が掲げられている。その文字は「虎」である。

 少年・竹千代は、自分の事を「虎の化身」だと思っていたのでしょうか?



1.「峯の薬師」鳳来寺と東照宮

「三大東照宮は?」
と聞かれて、久能山東照宮(静岡県静岡市駿河区根古屋)と日光東照宮(栃木県日光市山内)はすぐに思いつくが、3社目が出てこない。3社目は滝山東照宮(愛知県岡崎市滝町山籠)とも、鳳来寺山東照宮(愛知県新城市門谷鳳来寺)とも言われる。

なぜ、鳳来寺山に東照宮があるかといえば、徳川家康の生誕伝承による。

※寅童子(昭和30年頃に新城市の竹内時計店で作られるようになった玩具)
https://toradouji.theshop.jp/
http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/8887

ここから先は

2,438字 / 2画像

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

記事は日本史関連記事や闘病日記。掲示板は写真中心のメンバーシップを設置しています。家族になって支えて欲しいな。