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【史料集】中世紀行文に見る橋本宿

寛仁4年(1020年)9月:菅原孝標の次女『更級日記』

 浜名の橋に着いたり。浜名の橋、下りし時は黒木を渡したりし、此の度は、跡だに見えねば舟にて渡る。入江に渡りし橋なり。外の海は、いといみじく悪しく浪高くて、入江の徒らなる洲どもに、こと物もなく松原の茂れる中より、波の寄せ返るも、色々の玉のやうに見え、真に松の末より波は越ゆるやうに見えて、いみじくおもしろし。それより上は、猪鼻といふ坂の、えもいはず侘しきを上りぬれば、三河の国の高師の浜といふ。
https://note.com/sz2020/n/nfd2747cd6259

貞応2年(1223年)4月:作者不詳『海道記』

 やがて高志山にかゝりぬ。石利を踏て大敵山を打過れば燒野が原に草葉萠出て。こずゑの色煙をあぐ。此林地を遙に行ば山中に堺川あり。是より遠江國にうつりぬ。
  くたるさへたかしといはゝいかゝせんのほらん旅の東路の關
 此山のこしを南にくだりて遙に見おろせば靑山浪々として白雲沈々たり。海上の眺望は此ところに勝れたり。漸山脚に下れば匿穴のごとくに堀入たる谷に道あり。身をそばめ聲を吞で下る。くだりはつれば北は韓康獨往の栖。花の色夏の望み貧して。南は范蠡扁舟の泊り。波の聲夕の關に樂しぶ。鹽屋にはうすきけぶり靡然となびきて。中天の雲片々たり。濱膠には决れるうしほ溳焉とたまりて數條の畝磩々たり。浪によるみるめは心なけれども黑白をわきまへ。白洲にたてる鷺は心あれども毛砂にまとへり。優興にとゞめられて暫く立れば。此浦の景趣はひそかに行人の心をまとふ。
  行過る袖も鹽屋の夕けふりたつとてあまのさひしとや見ん
 夕陽の影の中に橋本の宿にとまる。此泊は鼇海南に湛て遊興をこぎゆくふねにのせ。驛路ひがしに通りて譽號を濱名の橋にきく。時に日車西に馳て牛漢漸あらはれ。月輸峯に廻りて兎景初て幽なり。浦ふく松風は臥もならはぬ旅の身にしみ。巖をあらふ浪の音は聞もなれぬ老の耳にたつ。初更の間ひごろのくるしみにわかれて。七編のこもむしろにゆるめるといへども。深漏はこよひのとまりのめづらしきに目ざめて數雙の松の下にたてり。磯もとゞろによる波は。水口かまびすしくのゝしれども。晴くもりゆく月は。雲のうす衣をかうぶりて忍びやかにすぐ。彼釣魚のかげはなみの底に入て魚のきもをこがし。夜舟の棹のうたはまくらのうへに音づれて客のねざめにともなふ。夜も旣に明ゆけば。星のひかりはかくれて宿立人の袖はみえ。餘所なる聲によばれてしらぬ友にうちつれて出づ。しばらく舊橋に立とゞまりてめづらしきわたり興ずれば。橋の下にさしのぼるうしほは。かへらぬ水をかへし上さまにながれ。松をはらふ風のあしは。かしらをこえてとがむれどもきかず。大かた羇中の贈答は此所に儲たり。誰か水驛の跡をいはん。
  橋本やあらぬ渡りと聞しにも猶過かねつまつのむら立
  浪まくらよろしく宿のなこりには殘してたちぬまつの浦風
 十一日に橋本をたつ。橋のわたりより行々たちかへりみれば。跡にしらなみのこゑはすぐるなごりをよびかへし。路に靑松の枝はあゆむもすそを引とゞむ。北にかへりみれば湖上はるかにうかんで。なみのしは水の顏に老たり。西にのぞめば湖海ひろくはびこりて。雲のうきはし風のたくみにわたす。水鄕のけしきは。かれも是もおなじけれども。湖海の淡鹹は氣味これことなり。浥のうへには浪に翥みさごすゞしき水をあふぎ。舟の中には唐櫓おすこゑ秋のかりをながめて夏の空にゆく。本より興望は旅中にあれば。感膓しきりに廻りておもひやみがたし。

仁治元年(1240年)?10月:阿仏尼(10代後半)『うたたねの記』

 浜名の浦ぞおもしろきところなりける。波荒き汐の海路、のどかなる水うみの落ち居たるけぢ目に、はるばると生続きたる松の木立など、絵に描かまほしくぞ見ゆる。落着所(おちつきどころ)の様をみれば、こゝかしこ同じ萱屋どもなど、さすがに狭(せば)からねど、はかなげなる葦ばかりにて結びおける隔てどもゝ、かげとまるべくもあらず。かりそめなれど、げに「宮も藁屋も」と思ふには、かくてしも、なかなかにしもあらぬ様也。うしろは松原にて、前は大きなる河、のどかに流れたり。海いと近ければ、湊の波こゝもとに聞こえて、塩のさすときは、この河の水、さかさまに流るゝやうに見ゆるなど、様かはりていとをかしき様なれど、いかなるにか、心とまらず。日数ふるまゝに都のかたのみ恋しく、昼は終日(ひめもす)に眺め、夜は夜すがら物をのみ思ひ続くる。荒磯の波の音も枕の元におちくる響きには、心ならずも夢の通ひ路絶え果てぬべし。
  心からかゝる旅寝に歎くとも夢だに許せ沖つ白波
 不二の山はたゞこゝもとにぞ見ゆる。雪いと白くて心細し。風に靡く煙の末も夢のままに哀なれど、「上なきものは」と思ひけつ心のたけぞ、ものおそろしかりける。甲斐の白根もいとしろく見渡されたり。
https://note.com/sz2020/n/n29e6a6043613

仁治3年(1242年)8月:作者不詳『東関紀行』

 参河、遠江のさかひに、高師山と聞こゆるあり。山中に越えかゝるほど、谷川の流れ落ちて、岩瀬の波、ことごとしく聞こゆ。境川とぞいふなる。
  岩つたひ駒うちわたす谷川の音もたかしの山に来にけり
 橋本といふ所に行つきぬれば、聞渡りし甲斐有て、景気いと心すごし。
 南には海潮あり。漁舟波に浮かぶ。北には湖水あり。人家岸につらなれり。其間に洲崎遠く指出て、松きびしく生ひ続き、嵐しきりに咽(むせ)ぶ。松の響き、波の音、いづれも聞き分きがたし。行人、心をいたましめ、とまるたぐひ、夢を覚まさずという事なし。湖に渡せる橋を浜名と名付く。古き名所也。朝たつ雲の名残、いづくよりも心細し。
  行とまる旅寝はいつもかわらねどわきて浜名の橋ぞ過ぎうき
 扨ても此宿に一夜泊まりたりし宿あり。軒古たる萱屋の所々まばらなる隙より、月の影曇りなく指入りたる折しも、君どもあまた見えし中に、少しをとなびたる気配にて、「夜もすがら床の下に晴天を見る」と、忍びやかに打ち詠たりしこそ、心にくく覚えしか。
  言の葉の深き情は軒端もる月のかつらの色に見えにき

弘安2年(1279年)10月:阿仏尼(50代後半)『十六夜日記』

 高師の山も越えつ。海見ゆるほど、いとおもしろし。浦風荒れて、松の響きすごく、浪いと高し。
  わがためや浪もたかしの浜ならむ 袖の湊の浪はやすまで
いと白き洲崎に、黒き鳥の群れ居たるは、鵜と云ふ鳥なりけり。
  白浜に墨の色なる島つ鳥 筆も及ばゞ絵に描きてまし
浜名の橋より見わたせば、鴎(かもめ)といふ鳥、いと多く飛びちがひて、水の底へも入る。岩の上にも居たり。
  鴎居る洲崎の岩もよそならず 浪のかけ越す袖にみなれて
https://note.com/sz2020/n/n0de504a83a22


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