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阿仏尼『十六夜日記』

 『十六夜日記』(いざよいにっき)は、藤原為家の側室・阿仏尼(生年不詳。『十六夜日記』の時は50代後半と考えられる。女房名は安嘉門院四条。父は平度繁)によって記された紀行文日記で、『海道記』『東関紀行』と共に「中世三大紀行文」と称されている。


第1章 『路次の記』
第2章 『東の日記』
付    『祈りの歌』(長歌と反歌)
奥書

からなり、『路次の記』『東の日記』『祈りの歌』の3冊の合本と考えられ、タイトルが無く、写本には『阿仏の道の記』『阿仏房紀行』『阿仏日記』『阿仏尼海道記』などとタイトルが付けられたが、この日記が10月16日に始まっていることから、現在では『十六夜日記』と呼ばれている。

※この記事は『路次の記』の現代語訳をしたものである。

 『路次の記』は、播磨国細川荘(現・兵庫県三木市)の相続争いの訴訟のため、京都(居住地)から鎌倉(鎌倉幕府)へ行く道中記、『東の日記』は鎌倉での生活の様子を描き、『祈りの歌』は勝訴を祈る歌である。
 阿仏尼は、弘安6年(1283年)4月8日没(享年60?)で、『十六夜日記』第1部『路次の記』の旅は、4年前の弘安2年(1279年)10月17日~29日の14日間(2週間)と考えられる。訴訟の結果が出る前に鎌倉で没したとする説と、京都へ帰った後に没したとする説がある。(前説が有力である。)

・『阿仏尼海道記』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11606643
・『いさよひの日記』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532205
・現代語訳国文学全集(第8巻)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114449/94


序章:旅立ちの理由
第1部:鎌倉への道中記『路次の記』

「近江路」(京都~醒が井)
「美濃路」(藤古川~墨俣)
「尾張路」(真清田神社~鳴海潟)
「三河路」(二村山~豊川)
「遠江路」(高師山~菊川)
「駿河路」(大井川~田子の浦)
「伊豆路」(国府)
「相模路」(箱根~鎌倉)
第2部:鎌倉での生活『東の日記』
「十六夜の月」
 ・・・
第3部:鶴岡八幡宮に勝訴を祈った長歌

※古文のテストによく出るのは「駿河路」と「十六夜の月」ですね。
※月の異称
・1日「新月」
・15日「満月」
・16日「十六夜(いざよい)の月」
・16日~晦日「有明の月」:夜が明けても、まだ空に残っている月
・「月影」:①月。②月光。
・この旅は10月16日~29日の14日間(2週間)で、月は「有明の月」。

★『十六夜日記』89首
  0001 とゞめ置く古き枕の塵をだに我たちさらば誰か拂はむ
  0002 和歌の浦にかきとゞめたる藻鹽草是を昔のかたみとも見よ
  0003 あなかしこよこなみかくな濱千鳥一かたならぬ跡を思はゞ
  0004 (侍従の返歌)
  0005 (侍従の返歌)
  0006 
  0007 つくづくと空なながめそ戀しくは道遠くともはや歸りこむ
  0008 
  0009 
  0010 きみをこそ朝日とたのめ古郷に殘るなでしこ霜にからすな
  0011 (置き手紙への返歌)
  0012 さだめなき命はしらぬ旅なれど又あふ坂とたのめてぞ行
  0013 うちしぐれ古郷思ふ袖ぬれて行先遠き野路の篠原
  0014 いとゞ猶袖ぬらせとや宿りけんまなく時雨のもる山にしも
  0015 旅人はみなもろともにあさたちて駒打わたすやすの川霧
  0016 むすぶ手ににごる心をすゝぎなば浮世の夢やさめが井の水
  0017 我が子供君につかへんためならで渡らましやは関の藤川
  0018 ひまおほきふはの關屋はこの程の時雨も月もいかにもる覽
  0019 旅人はみのうちはらふ夕暮の雨にやどかるかさぬひの里
  0020 まもれたゞ契結ぶの神ならばとけぬ恨にわれまよはさで
  0021 片淵の深き心はありながら人めつゝみにさぞせかるらん
  0022 假の世のゆきゝとみるもはかなしや身を浮舟を浮橋にして
  0023 一宮名さへなつかしふたつなく三なき法をまもる成べし
  0024 祈るぞよわが思ふこと鳴海がたかたひく汐も神のまにまに
  0025 なるみがたわかの浦かぜ隔てずはおなじ心に神もうくらん
  0026 みつ汐のさしてぞきつる鳴海がた神やあはれとみるめ尋て
  0027 雨風も神の心にまかすらんわが行さきのさはりあらすな
  0028 浜千鳥啼てぞさそふ世中に跡とめむとは思はざりしを
  0029 こととはむ觜と足とはあかざりし我住かたの都鳥かも
  0030 はるばると二村山を行過て猶すゑたどる野べの夕やみ
  0031 さゝがにのくもであやうき八橋を夕ぐれかけて渡りぬる哉
  0032 時雨けり染る千入のはては又紅葉の錦色かはるまで
  0033 待けりな昔もこえし宮地山おなじ時雨のめぐりあふよを
  0034 ぬしや誰山の裾野に宿しめてあたりさびしき竹の一村
  0035 すみわびて月の都を出しかどうき身はなれぬ有明の影
  0036 旅人のおなじ道にや出つらん笠うちきたる有明の月
  0037 我ためや浪もたかしの浜ならん袖の湊の波はやすまで
  0038 白浜に墨の色なるしまつどり筆もおよばゞゑにかきてまし
  0039 鴎ゐる洲崎の岩もよそならず浪のかけこす袖にみなれて
  0040 浜松のかはらぬかげを尋きてみし人なみに昔をぞとふ
  0041 水の淡の浮世にわたる程をみよ早瀬の小舟棹もやすめず
  0042 たれかきてみつけの里と聞からにいとゞ旅ねぞ空恐ろしき
  0043 越くらす麓の里の夕闇にまつ風おくるさやの中山
  0044 雲かゝるさやの中山こえぬとは都につげよ有明の月
  0045 わたらむと思ひやかけし東路に有と計はきく川の水
  0046 思ひいづる都のことは大井河幾瀬の石のかずもおよばじ
  0047 我が心うつゝともなしうつの山夢にも遠き昔こふとて
  0048 つたかえでしぐれぬひまもうつの山涙に袖の色ぞこがるゝ
  0049 なほざりにみるめ計をかり枕結びおきつと人にかたるな
  0050 清見がた年ふる岩にこととはむ波のぬれ衣幾かさねきつ
  0051 ならはずよ余所に聞こし清見潟あら磯浪のかゝるねざめは
  0052 誰が方になびきはてゝかふじのねの煙の末のみえずなる覽
  0053 いつの世の麓の塵かふじのねを雪さへ高き山となしけん
  0054 朽はてし長柄の橋をつくらばやふじの煙もたゝずなりなば
  0055 冴わびぬ雪よりおろすふじ河の川風こほる冬の衣手
  0056 心からおりたつたごのあま衣ほさぬ恨と人にかたるな
  0057 あはれとやみしまの神の宮柱唯こゝにしもめぐりきにけり
  0058 おのづからつたへし跡も有ものを神はしるらんしき嶋の道
  0059 尋きてわがこえかゝる箱根路を山のかひある知べとぞ思ふ
  0060 玉くしげ箱根の山をいそげども猶明がたき横雲の空
  0061 ゆかしさよ其方の雲をそばだてゝよそになしぬる足柄の山
  0062 東路のゆさかを越てみわたせばしほ木ながるゝはや川の水
  0063 あまのすむその里の名も白浪のよする渚に宿やからまし
  0064 浦路ゆく心ぼそさを波間より出てしらする有明の月
  0065 あま小舟漕行かたをみせじとや浪に立そふ浦の朝霧
  0066 立はなれよもうきなみはかけもせじ昔の人の同じ世ならば
  0067 (宇津山峠で送った手紙の返歌)
  0067 (宇津山峠で送った手紙の返歌)
  0068 巡りあふ末をぞたのむゆくりなく空にうかれし十六夜の月
  0069 (大宮院)
  0070 思ひやれ露も時雨も一つにて山路分こし袖の雫を
  0071 (爲兼)
  0072 旅衣浦かぜさえて神なづきしぐるゝ空に雪ぞふりそふ
  0073 消えかへりながむる空もかきくれてほどは雲ゐぞ雪になりゆく
  0074 一かたに袖やぬれまし旅衣たつ日をきかぬ恨なりせば
  0075 (安嘉門院)
  0076 心から何恨むらむ旅衣たつ日をだにも知らずがほにて
  0077 夜もすがら涙もふみもかきあへず磯こす風に獨おきゐて
  0078 いたづらにめかり塩やくすさびにも恋しやなれし里の蜑人
  0079 (姉妹の返歌)
  0080 
  0081 朧なる月はみやこの空ながらまだきかざりし波のよなよな
  0082 (返歌)
  0083 いかにしてしばし都をわすれ貝なみのひまなくわれぞくだくる
  0084 知らざりしうらやま風も梅が香はみやこに似たる春のあけぼの
  0085 はなぐもりながめてわたる浦風にかすみたゞよふはるの夜の月
  0086 あづまぢの磯やま風のたえまよりなみさへ花のおもかげにたつ
  0087 みやこ人おもひも出でばあづまぢの花やいかにと音づれてまし
  0088 (返歌)
  0089 (返歌)
  0090 (返歌)
  0091 (返歌)
  0091 いたづらにあまの鹽燒煙ともたれかはみまし風に消なば
  0092 (返歌)
  0093 たのもしな身にそふ友と成にけりたへなる法の花の契りは
  0094 見し世こそかはらざるらめ暮はてし春より夏にうつる梢も
  0095 夏衣はやたちかへて都人今やまつらん山ほとゝぎす
  0096 (返歌)
  0097 (返歌)
  0098 忍びねはひきのやつなる郭公雲ゐにたかくいつかなのらむ
  0099 
  0100 それゆゑにとび別れてもあしたづの子を思ふかたはなほぞ悲しき
  0101 宮こまでかたるも遠し思ひねに忍ぶ昔の夢のなごりを
  0102 はかなしや旅ねの夢にまよひきてさむればみえぬ人の俤
  0103 (返歌)
  0104 (返歌)
  0105 (為相)
  0106 恋しのぶ心やたぐふ朝夕に行てはかへるをちのしら雲
  0105 (為相)
  0106 秋ふかき草の枕に我ぞなくふりすてゝこしすゞ虫のねを
  0107 これを見ばいかばかりかと思ひつる人にかはりてねこそなかるれ
  0108 (為守)
  0109 かりそめに立別ても子をおもふ思ひをふじの煙とぞみし
  0110 (権中納言の君)
  0111 かよふらし宮この外の月みても空なつかしきおなじながめは
  0112 しきしまや やまとのくには あめつちの ひらけはじめし
  むかしより いはとをあけて おもしろき かぐらのことば
  うたひてし さればかしこき ためしとて ひじりの御世の
  みちしるく ひとのこゝろを たねとして よろづのわざを
  ことのはに おにがみまでも あはれとて 八しまのほかの
  よつのうみ なみもしづかに をさまりて そらふくかぜも
  やはらかに えだもならさず ふるあめも ときさだまれば
  きみぎみの みことのまゝに したがひて わかのうらぢの
  もしほぐさ かきあつめたる 跡おほく それがなかにも
  名をとめて 三代までつぎし ひとの子の おやのとりわき
  ゆづりてし そのまことさへ ありながら おもへばいやし
  しなのなる そのはゝき木の そのはらに たねをまきたる
  とがとてや 世にもつかへよ 生ける世の 身をたすけよと
  ちぎりおく 須磨とあかしの つゞきなる ほそかはやまの
  やまがはの わづかにいのち かけひとて つたひしみづの
  みなかみも せきとめられて いまはたゞ くがにあがれる
  いをのごと かぢを絕えたる ふねのごと 寄るかたもなく
  わびはつる 子をおもふとて よるのつる なくなくみやこ
  出でしかど 身はかずならず かまくらの 世のまつりごと
  しげゝれば きこえあげてし ことのはも えだにこもりて
  うめのはな 四とせのはるに なりにけり ゆくへも知らぬ
  なかぞらの かぜにまかする ふるさとは のきばもあれて
  さゝがにの いかさまにかは なりぬらむ 世々のあとある
  たまづさも さてくちはてば あしはらの みちもすたれて
  いかならむ これをおもへば わたくしの なげきのみかは
  世のためも つらきためしと なりぬべし ゆくさきかけて
  さまざまに 書きのこされし ふでのあと かへすがへすも
  いつはりと おもはましかば ことわりを たゞすのもりの
  ゆふしでに やよやいさゝか かけてとへ みだりがはしき
  すゑの世に あさはあとなく なりぬとか いさめ置きしを
  わすれずば ゆがめることを またたれか ひきなほすべき
  とばかりに 身をかへりみず たのむぞよ そのよを聞けば
  さてもさは のこるよもぎと かこちてし ひとのなさけも
  かゝりけり おなじはりまの さかひとて ひとつながれを
  汲みしかば 野なかのしみづ よどむとも もとのこゝろに
  まかせつゝ とゞこほりなき みづくきの あとさへあらば
  いとゞしく つるがをかべの あさひかげ 八千代のひかり
  さしそへて あきらけき世の なほもさかえむ。
  0113 永かれと朝夕いのる君が代を大和言葉に今日ぞのべつる

序章:旅立ちの理由


 むかし、かべのなかよりもとめ出でたりけむふみの名をば、今の世の人の子は、夢ばかりも身のうへの事とは知らざりけりな。みづくきの岡のくづ葉、かへすがへすも、かきおくあとたしかなれども、かひなきものは親のいさめなり。又賢王の人をすて給はぬまつりごとにももれ、忠臣の世を思ふなさけにもすてらるゝものは、かずならぬ身ひとつなりけりと思ひ知りながら、またさてしもあらで、猶このうれへこそやるかたなく悲しけれ。さらに思ひつゞくれば、やまとうたの道は、唯まことすくなく、あだなるすさびばかりと思ふ人もやあらむ。ひのもとの國に、あまのいはとひらけし時、よもの神だちのかぐらのことばを始めて、世を治め、物をやはらぐるなかだちとなりにけるとぞ、この道のひじりだちはしるし置かれたりける。さてもまた集を撰ぶ人はためしおほかれど、二たび勅をうけて、世々に聞えあげたるは、たぐひ猶ありがたくやありけむ。そのあとにしもたづさはりて、みたりのをのこゞども、もゝちのうたのふるほぐどもを、いかなるえにかありけむ、あづかりもたることあれど、「道を助けよ、子をはぐゝめ、後の世をとへ」とて深きちぎりをむすびおかれし細川のながれも、ゆゑなくせきとめられしかば、あととふのりのともしびも、道をまもり、家を助けむ親子の命ももろともに、きえをあらそふ年月を經て、あやふく心ぼそきものから、何としてつれなくけふまではながらふらむ。惜しからぬ身ひとつは、やすく思ひすつれども、子を思ふ心のやみはなほ忍びかたく、道をかへりみるうらみはやらむかたなく、さてもなほあづまの龜のかゞみにうつさば、くもらぬ影もやあらはるゝと、せめておもひあまりて、よろづのはゞかりを忘れ、身をやうなきものになしはてゝ、ゆくりもなく、いざよふ月にさそはれ出でなむとぞ思ひなりぬる。さりとて、文屋康秀がさそふにもあらず、住むべき國もとむるにもあらず、ころはみふゆたつはじめの、さだめなき空なれば、ふりみふらずみ時雨もたえず、あらしにきほふこの葉さへなみだとともに亂れ散りつゝ、事にふれて心ぼそく悲しけれど、人やりならぬ道なれば、いきうしとてもとゞまるべきにもあらで、何となく急ぎ立ちぬ。めかれせざりつるほどだに、荒れまさりつる庭もまがきも、ましてと見まはされて、したはしげなる人々の袖のしづくも、なぐさめかねたる中にも、侍従、大夫などのあながちにうちくつしたるさまいと心ぐるしければ、さまざま言ひこしらへ、ねやのうちを見れば、むかしの枕さへ、さながらかはらぬを見るにも、今更かなしくて、かたはらに書きつく、
  とゞめおくふるき枕のちりをだにわが立ちさらばたれかはらはむ
よゝにかきおかれける歌のさうしどもの奧書して、あだならぬかぎりをえりしたゝめて、侍從のかたへ送るとて、書きそへたるうた、
  和歌の浦にかきとゞめたるもしほぐさこれをむかしのかたみとも見よ
  あなかしこよこ浪かくなはま千鳥ひとかたならぬあとをおもはゞ
これを見て、侍從のかへりごといととくあり。
  つひによもあだにはならじもしほぐさかたみをみよの跡にのこせば
  まよはまし敎へざりせばはま千鳥ひとかたならぬあとをそれとも
このかへりごといとおとなしければ、心やすくあはれなるにも、昔の人にきかせ奉りたくて、又うちしほたれぬ。大夫のかたはら去らずなれ來つるを、振りすてられなむなごり、あながちに思ひ知りて、手ならひしたるを見れば、
  はるばるとゆくさき遠く慕はれていかにそなたの空をながめむ
と書きつけたる、ものより殊にあはれにて、おなじ紙に書きそへつ、
  つくづくと空なながめそこひしくば道とほくともはやかへりこむ
とぞ慰むる。山より侍從の兄のりしも、出でたち見むとておはしたり。それもいと心ぼそしと思ひたるを、この手ならひどもを見て、又、書きそへたり、
  あだにのみ淚はかけじ旅ごろもこゝろのゆきて立ちかへるほど
とはこといみしながら、涙のこぼるゝを荒らかに物言ひまきらはすも、さまざまあはれなるを、あざりの君はやまぶしにて、この人々よりは兄なり。このたびの道のしるべにおくり奉らむとて、いでたゝるめるを、この手ならひに又まじはらざらむやはとて書きつく、
  立ちそふぞうれしかりける旅衣かたみにたのむおやのまもりは
をんなごはあまたもなし。唯ひとりにて、この近きほどの女院に侍ひ給ふ。院のひめ宮ひと所うまれ給ふばかりにて、心づかひもまことしきさまにて、おとなしくおはすれば、宮の御かたの戀しさもかねて申しおくついでに、侍從大夫などのこと、はぐゝみおほすべきよしも、こまかに書きつけて、奧に、
  君をこそ朝日とたのめふるさとにのこるなでしこ霜にからすな
ときこえたれば、御かへりもこまやかに、いとあはれに書きて、歌のかへしには、
  思ひおく心とゞめはふるさとのしもにも枯れじやまとなでしこ
とぞある。いつゝの子どもの歌、のこりなく書きつゞけぬるも、かつはいとをこがましけれど、親の心には、哀におぼゆるまゝに書き集めたり。

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