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阿仏尼『うたたねの記』

 『うたたねの記』(単に『うたたね』とも)は、少女が失恋して勝手に出家し、還俗して、父・平度繁の誘いで遠江国橋本宿へ転地療養(気分転換、傷心旅行)に下り、約1ヵ月の滞在の後、乳母の病で帰洛するまでの約2年間の回想文である。

第1章 旅に出るまで
第2章 東下り(遠江国橋本宿へ)
第3章 帰京

※この記事は、第2章のみ、現代語訳を載せています。

★『うたたねの記』全22首
 0001 人しれず契りし中のことの葉を嵐ふけとはおもはざりしを
 0002 これやさは問ふもつらさの数々に涙を添ふる水莖の跡
 0003 なげきつゝ身を早きせの底とだに知らず迷はむ跡ぞ悲しき
 0004 捨て出し鷲の御山の月ならで誰を夜な夜な恋ひわたりけむ
 0005 みちのくの壺のいしぶみかき絶えて遙けき仲と成りにける哉
 0006 思ひ出づる程にも波は騒ぎけりうき瀬をわけて中川の水
 0007 よとともに思ひ出づれば呉竹の恨めしからぬその節もなし
 0008 消え果てむ煙の後の雲をだによも眺めじな人目漏るとて
 0009 はかなしな短き夜半の草枕結ぶともなきうたゝねの夢
 0010 おく露の命待つ間のかりの庵に心細くも宿る月影
 0011 待馴れし故里をだにとはざりし人はこゝまで思ひやはよる
 0012 消かへりまたはくべしと思ひきや露の命の庭の浅茅生
 0013 越わぶる逢坂山の山水は別れに絶へぬ涙とぞ見る
 0014 すみわびて立別れぬる故里もきてはくやしき旅衣かな
 0015 思ひいでゝ名をのみ慕ふ都鳥あとなき波にねをやなかまし
 0016 これやさはいかになるみの浦なれば思ふ方には遠ざかるらむ
 0017 心からかゝる旅ねになげくとも夢だに許せ沖つ白波
 0018 忘るなよあさきの柱かはらずばまたきて馴るゝ折もこそあれ
 0019 かきくらす雪まをしばし待つ程にやがてとゞむる不破の関守
 0020 このたびは曇らば曇れ鏡山人を都の遥かならねば
 0021 君もさはよその眺めや通ふらむ都の山にかゝる白雲
 0022 我よりは久しかるべき跡なれど忍ばぬ人はあはれとも見じ

第1章 旅に出るまで


 もの思ふことのなぐさむにはあらねども、ねぬよの友とならひにける月の光待出ぬれば、例のつまどおしあけてたゞひとりみ出したる、あれたる庭の秋露、かこちがほなる虫のねも、物ごとに心をいたましむるつまと也ければ、心に亂れおつる泪をおさへて、とばかりこし方ゆくさきを思ひつゞくるに、「さもあさましくはかなかりける契りの程をなどかくしも思ひいれけん」と、我心のみぞかへすがへすうらめしかりける。
 夢現ともわきがたかりし宵のまより、關守の打ぬる程をだにいたくもたどらずなりにしや。打しきる夢のかよひ路は、一夜ばかりのとだえもあるまじきやうにならひにけるを、さるは月草のあだなる色をかねてしらぬにしもあらざりしかど、いかにうつりいかに染ける心にか、さも打つけにあやにくなりし心まよひには、「ふし柴の」とだに思ひしらざりける。
 やうやう色づきぬ。秋の風のうきみにしらるゝ心ぞうたてくかなしき物なりけるを、おのづからたのむる宵はありしにもあらず。打過る鐘のひゞきをつくづくと聞ふしたるも、いけるこゝちだにせねば、げに今さらに「鳥はものかは」とぞ思ひしられける。さすがにたえぬ夢のこゝちは、ありしにかはるけぢめも見えぬものから、とにかくにさはりがちなるあしわけ船にて神無月にもなりぬ。降みふらずみ定なき頃の空のけしきは、いとゞ袖のいとまなき心ちして、おきふしながめわぶれど、絶てほどふるおぼつかなさの、ならはぬ日數の隔るも、「今はかくにこそ。」と思ひなりぬるよの心ぼそさぞ、なにゝたとへてもあかずかなしかりける。
 いとせめてあくがるゝ心催すにや、にはかにうづまさに詣でんと思ひ立ぬるも、かつうはいとあやしく、佛のみ心の中はづかしけれど、二葉より參り馴にしかば、すぐれてたのもしき心ちして、心づからのなやましさも愁ひきこえむとにやあらむ。しばしば御前にともなる人々、「時雨しぬべし。はやかへり給へ。」などいへば、心にもあらずいそぎ出るに、ほうこんごう院の紅葉このごろぞさかりと見えて、いとおもしろければ、すぎがてにおりぬ。かうらんのつまの岩のうへにおりゐて、山の方をみやれば、木々の紅葉色々に見えて、松にかゝれるつたの心の色もほかにもことなる心地していとみ所おほかるに、うきふるさとはいとゞわすられぬるにや、とみにもたゝれず。をりしも風さへ吹て、物さはがしくなりければ、みさすやうにてたつ程、
  人しれず契りし中のことの葉を嵐ふけとはおもはざりしを
とおもひつゞくるにも、すべて思ひざまさることなき心のうちならんかし。
 歸りてもいとくるしければ、うちやすみたる程、「御ふみ」とてとりいれたるも、むねうちさはぎてひきひろげたれば、たゞ今の空の哀にひごろのおこたりをとりそへて、こまやかに書なされたる墨つき・筆のながれもいとみそ有と、例の中々かきみだす心まよひに、ことの葉のつゞきもみえずなりぬれば、御かへりもいかゞ聞えけん。名殘もいと心ぼそくて、この御文をつくづくと見るにも、日比のつらさはみな忘られぬるも、「人わろき心の程や。」とまたうちおかれて、
  これやさはとふもつらさのかずかずに涙をそふる水莖の跡
例の人しれずなかみちちかきそらにだに、たどたどしきゆふやみに契たがへぬしるべばかりにて盡せず、夢のこゝちするにも、いできこえんかたなければ、たゞいひしらぬ泪のみむせかへりたる。あか月にもなりぬ。枕に近き鐘の音も唯今の命をかぎる心ちして、我にもあらずおきわかれにし袖の露いとゞかこちがましくて、「君やこし」とも思ひわかれぬなかみちに、例のたのもし人にてすべりいでゐるも、返す返す夢のこゝちなむしける。
  彼處にはむめきたの方わづらひ給けるが、つひにきえはて給にければ、そのほどのまぎれにや、またほどふるもことわりながら、いひしにたがふつらさはしも、ありしにまさる心地するは、「いかにおぼしまどふらん」と、とりわきたりける御思ひの名殘もいと苦しくおしはかり聞ゆれど、あはれしる心の程中々聞えん方なくて、日數ふるいぶせさをかれがれぞ驚かし給つる。
「難面よの哀さもみづから聞えあはせたく」などあれば、例のうちゐる程の鐘の響に人しれずたのみをかくるも、おもへば淺ましく、「よの常ならずあだなる身のゆくへ、つひにいかになりはてむとすらん」と、心ぼそく思ひつゞくるにも、「ありしながらの心ならましかば、うきたる身のとがもかうまでは思ひしらずぞ過なまし」など思ひつゞくるに、今さら身のうさもやる方なく悲しければ、「今宵は難面てやみなまし」など思ひ亂るゝに、「例のまつほど過ぬるはいかなるにか」と、さすがめもあはず、みじろぎふしたるに、かのちひさき童にや、しのびやかにうちたゝくを聞つけたるには、かしこく思ひしづむる心もいかなりぬるにか、やをらすべり出ゐるも、我ながらうとましきに、月もいみじくあかければ、いとはしたなき心地して、すいがいの折殘りたるひまにたちかくるゝも、彼ひたちのみやの御すまひ思ひ出らるゝに、「いるかたしたふ人の御さまぞことたがひておはしけれど、立よる人の御面かげはしも、「里わかぬ光」にもならびぬべきこゝちするは、あながちに思ひ出られて、「さすがに覺し出るをりもや」と、心をやりて思ひつゞくるに、はづかしきことも多かり。
 しはすにもなりぬ。雪かきくらして風もいとすさまじき日、いととくおろしまはして、人二三人ばかりして物語などするに、「夜もいたく更ぬ」とてひとはみな寢ぬれど、露まどろまれぬに、やをら起出てみるに、宵には雲がくれたりつる月の浮雲まがはず也ながら、山のは近きひかりほのかにみゆるは七日の月なりけり。「みし夜のかぎりも今宵ぞかし」と思ひいづるに、たゞそのをりのこゝちして、さだかにもおぼえずなりぬる御面かげさへさしむかひたる心ちするに、まづかきくらす涙に月の影もみえずとて、「佛などの見え給つるにや」と思ふに、はづかしくもたのもしくも成ぬ。さるは月日にそへてたへ忍ぶべき心ちもせず、こゝろづくしなることのみ増れば、「よしや思へばやすき」と、ことわりに思ひ立ぬる心のつきぬるぞ、有し夢のしるしにやとうれしかりける。「今はと物を思ひなりにしも」といへばえに悲しきことおほかりける。
 春ののどやかなるに何となくつもりにける手ならひのほんごなどやりかへすついでに、かの御文どもをとりいでてみれば、梅がえの色づきそめし初より冬草かれはつる迄、をりをりの哀忍びがたきふしぶしを打とけて聞えかはしけることの積ける程も、「今は」とみるはあはれ淺からぬなかに、いつぞや、「つねよりもめとゞまりぬらんかし」とおぼゆる程に、こなたのあるじ、「今宵はいとさびしく、物おそろしき心ちするに、爰にふしたまへ」とて、我かたへもかへらず成ぬ。「あなむつかし」とおぼゆれど、せめて心の鬼もおそろしければ、「かへりなん」ともいはでふしぬ。
 人はみな何心なくねいりぬる程に、やをらすべり出れば、ともし火の殘て心ぼそきひかりなるに、「人や驚かん」とゆゝしくおそろしけれど、たゞしやうじひとへを隔たる居どころなれば、ひるよりよういしつるはさみばこのふたなどのほどなく手にさはるもいとうれしくて、かみを引分るほどぞさすがおそろしかりける。そぎおとしぬれば、このふたにうち入て、かき置つる文などもとりぐしておかむとする程、いでつるしやうじ口より火の光のなほほのかにみゆるに、文かきつくる硯のふたもせで有けるがかたはらにみゆるを引よせて、そぎおとしたるかみをおしつゝみたるみちの國紙のかたはらに、たゞうち思ふことを書つれど、外なるともしびの光なれば、筆のたちどもみえず。
  なげきつゝ身を早きせの底とだにしらず迷はん跡ぞ悲しき
 身をもなげてんと思ひけるにや、たゞ今も出ぬべきこゝちして、やをらはしをあけたれば、つごもり比の月なき空に、天雲さへたちかさなりて、いとものおそろしうくらきに、夜もまだふかきに、とのゐ人さへ折しも打こはづくろふも「むつかし」と聞ゐたるに、「かくても人にやみつけられん」とそらおそろしければ、もとのやうにいりてふしぬれど、かたはらなる人うちみじろぎだにせず。さきざきも、とのゐびとの夜ふかくかどをあけて出るならひ也ければ、その程を人しれずまつに、こよひしもとくあけていでぬるおとすれば。さるは心ざす道もはかばかしくも覺えず。爰も都にはあらず、北山の麓といふ處なれば、ひとめしげからず。木の葉のかげにつきて、夢のやうにみおきし山ぢをたゞ獨行こゝち、いといたくあやうくおそろしかりける。山びとのめにもとがめぬまゝに、あやしくものぐるほしきすがたしたるも、すべて現のことともおぼえず。
 さてもかのところにし山の麓なれば、いとはるかなるに、夜なかより降いでつる雨の、明るまゝにしほしほとぬるゝ程になりぬ。故里よりさがのわたり迄は、すこしもへだたらずみわたさるゝほどの道なれば、さはりなくゆきつきぬ。夜もやうやうほのぼのとする程に成ぬれば、みちゆきびともこゝもとはいとあやしととがむる人もあれば、物むつかしくおそろしき事このよにはいつかはおぼえむ。たゞ一すぢになきになしはてつる身なれば、あしのゆくにまかせて、はや山ふかく入なむと打もやすまぬままに、苦しくたへがたきことしぬばかり也。いるあらしの山の麓にちかづくほど、雨しるべにやゆゝしく降まさりて、むかへの山をみれば、雲のいくへともなくおりかさなりて、ゆくさきもみえず。からうじてほうりんのまへ過ぬれば、はては山路にまよひぬるぞすべきかたなきや。をしからぬ命も、たゞ今ぞ心ぼそく悲しき。いとゞかきくらす泪の雨さへふりそへて、こしかたゆくさきも見えず、思ふにもいふにもたらず。今とぢめはてつる命なれば、身のぬれとほりたること、伊勢の白水郎にもこえたり。
 いたくまはりはてにければ、松風のあらあらしきをたのもし人にて、これも都のかたよりとおぼえて、みのかさなどきてさえづりくる女あり。こわらはのおなじこゑなるともの語する也けり。これやかつらの里のひとならんと見ゆるに、たゞあゆみにあゆみよりて、「是は何人ぞ。あな心う。御前は人のてをにげいで給か。またくちろむなどをし給たりけるにか。何故かゝるおほ雨に降れてこの山中へ出給ぬるぞ。いづくよりいづくをさしておはするぞ。あやし、あやし」とさえづる。なにといふこゝろにか、したをたびたびならして、「あな、いとほし、いとほし。」とくり返しいふぞうれしかりける。しきりに身のありさまを尋れば、「これは人を恨るにもあらず。またくちろむとかやをもせず。たゞ思ふこと有てこの山のおくにたづぬべきこと有て夜ふかく出つれど、雨もおびたゞしく、山路さへまどひてこしかたもおぼえず。ゆくさきもえしらず。しぬべき心地さへすれば、爰によりゐたるなり。おなじくはそのあたり迄みちびき給ひてんや」といへば、いよいよいとほしがりて、手をひかへてみちびく情のふかさぞ佛の御しるべにやとまで、うれしくありがたかりける。
 ほどなく送りつけてかへりぬ。まちとる處にも「あやしくものぐるほしきものゝさまかな」とのみおどろく人おほかるらめなれども、かつらの里のひとの情におとらめやは。さまざまにたすけあつかはるゝほど、山路はなほ人のこゝちなりけるが、「今は」とうちやすむほど、すべてこゝちもうせて、露ばかり起もあがられず。いたづらものにてふしたりしを、都人さへ思ひのほかにたづねしる便ありて、三日ばかりはとにかくにさはりしかども、ひとひに本意とげにしかば、一すぢにうちもうれしく思ひなりぬ。
 さてこの所をみるに、「うき世ながらかゝるところも有けり」とすごく思ふさまなるに、おこなひなれたるあま君たちのよひ曉のあかおこたらず、爰かしこにせぬれいのおとなどを聞につけても、「そゞろにつもりけん年月のつみも、かゝらぬ所にてやみなましかば、いかにせまし」と思ひ出るにぞ、みもゆるこゝちしける。故里の庭もせにうきをしらせし秋風は、ほけ三まいの峯の松風に吹かよひ、ながむるかどに面かげと見し月影は、りやうじゆせんの雲ゐはるかに心を送るしるべとぞなりにける。
  捨て出しわしのみ山の月ならで誰をよなよな戀わたりけん
 ゆたのたゆたに物をのみ思ひくちにしはては、うつゝ心もあらずあくがれそめにければ、さまざま世のためしにもなりぬべく、おもひのほかにさすらふる身のゆくへを、おのづから思ひしづむる時なきにしもあらねば、かりのよの夢の中なるなげきばかりにもあらず、「くらきよりくらきに」たどらむながきよのまどひをおもふにも、いとせめて悲しけれど、心は心として「猶おもひ馴にしゆふぐれのながめに打そひて、ひと方ならぬ恨もなげきも、せきやるかたなきむねのうちを、はかなき水莖のおのづから心のゆく便もや」とて、ひとしれず書ながせど、いとゞしき泪のもよほしになむ。いでや、おのづから大かたのよの情をすてぬなげの哀ばかりを折々にちりくることの葉も有しにこそ、露のいのちをもかけて、今日までもながらへてけるを、うきよの人のつらき僞にさへならひはてにけることも有にや、おなじ世ともおぼえぬ迄に隔りはてにければ、ちかの鹽がまもいとかひなきこゝちして、
  みちのくのつぼのいしぶみかき絶て遙けき中と成にける哉
 日ごろ降つる雨のなごりにたちまふ雲まのゆふづく夜のかげほのかなるに、「おしあけがたならねど、うき人しも」とあやにくなるこゝちすれば、つまどはひきたてつれど、かどちかくほそき川の流れたる水のまさるにや、常よりもおとする心地するにも、いつのとしにかあらん、此川の水の出たりしに、人しれず波をわけしことなど、たゞ今のやうにおぼえて、
  思ひ出る程にも波はさはぎけりうきよをわけて中川の水
あれたる庭に呉竹のたゞすこし打なびきたるさへ、そゞろにうらめしきつまとなるにや。
  よとともに思ひ出れば呉竹の恨めしからぬそのふしもなし
「おのづから、ことのついでに」などばかりおどろかし聞えたるにも、「よのわづらはしさに、思ひながらのみなん、さるべきついでもなくて、みづから聞えさせず」など、なほざりに書すてられたるもいと心うくて、
  消はてん煙ののちの雲をだによもながめじな人めもるとて
とおぼゆれど、こゝろのうちばかりにてくたしはてぬるは、いとかひなしや。
 そのころこゝちれいならぬことありて、命もあやうきほどなるを、こゝながらともかくもなりなばわづらはしかるべければ、思ひかけぬたよりにて、おたぎの近き所にてはかなき宿りもとめいでてうつろひなんとす。「かく」とだに聞えさせまほしけれど、とはず語もあやしくて、なくなくかどをひきいづるをりしも、先にたちたる車あり。さきはなやかにおひて、ごぜんなどことごとしくみゆるを、「たればかりにか」とめとゞめたりければ、彼ひとしれず恨きこゆる人なりけり。かほしるき隨身などまがふべうもあらねば、かくとはおぼしよらざらめど、そゞろに車の中はづかしく、はしたなきこゝちしながら、今一たびそれとばかりもみ送り聞ゆるは、いとうれしくもあはれにも、さまざまむねしづかならず。つひにこなたかなたへ行別れ給ふ程、いといたうかへりみがちに彼處にゆきつきたれば、兼て聞つるよりもあやしく、はかなげなる所のさまなれば、いかにしてたへ忍ぶべくもあらず。暮はつる空のけしきもひごろにこえて心ぼそくかなし。宵ゐすべき友もなければ、あやしくしきも定めぬとふのすがごもにたゞひとり打ふしたれど、とけてしもねられず。
  はかなしなみじかき夜はの草枕結ぶともなきうたゝねの夢
ひごろふれど問くる人もなし。心ぼそきまゝにきやうつとてに持たる計ぞたのもしきともなりける。「せかいふらうこ」と有ところをしひて思ひつゞけてぞ、うき世のゆめもおのづからおもひさますたよりなりける。
 けふかあすかと心ぼそき命ながら、卯月にもなりぬ。いざよひの光まち出て程なき窓のしとみだつものもおろさず、つくづくとながめいでたるに、はかなげなる垣ねの草にまどかなる月影に、ところがらあはれすくなからず。
  おく露の命まつまのかりの庵にこゝろぼそくもやどる月影
いづくにかあらん、かすかに笛の音のきこえくる。かの御あたりなりしねにまよひたるこゝちするにも、きとむねふたがるこゝちするを、
  待なれし故里をだにとはざりし人はこゝまで思ひやはよる
 さても猶うきにたへたる命のかぎり有ければ、やうやう心ちもおこたりざまになりたるを、「かくてしもや」とてまた故郷にたちかへるにも、まつならぬ梢だにそゞろにはづかしくみまはされて、
  消かへりまたはくべしと思ひきや露の命の庭の淺ぢふ
なげきながらはかなく過て秋にもなりぬ。ながき思ひのよもすがらやむともなききぬたの音、寢屋ちかききりぎりすのこゑの亂れも、ひと方ならぬねざめの催しなれば、「壁にそむけるともし火のかげ」ばかり友として、あくるをまつもしづごゝろなく、盡せぬ泪の雫は「窓うつ雨よりも」なり。いとせめてわびはつるなぐさみに、「さそふ水だにあらば」と朝夕のこと草に成ぬるを、そのころ後の親とかたのむべきことはりも淺からぬひとしも、遠つあふみとかや、聞もはるけき道を分て、「都のものもうでせん」とてのぼりきたるに、何となくこまやかなる物語などするついでに、「かくてつくづくとおはせんよりは、ゐなかの住ひもみつゝなぐさみたまへかし。かしこも物さはがしくもあらず。心すまさんひとはすみぬべきさまなる」など、なほざりなくいざなへど、さすがひたみちにふりはなれなん都のなごりも、いづくをしのぶこゝろにか、心ぼそくおもひわづらはるれど、「あらぬすまひに身をかへたると思ひなして」とだに、「うきをわするゝたよりもや」とあやなく思ひたちぬ。

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