あなたはここにいるべきひとではない

新しく買った本棚を組み立ててからお誕生日ケーキをたべよう、と話して本棚を組み立てはじめたら、おもっていたよりずっとたいへんだった。
手伝ってくれた恋人は途中めんどうそうにしていたけれど、なんとか最後まで組み立ててみたところ、できあがった本棚はサイズも容量もぴったりで、予定していたスペースによくなじんだ。

前の家から持ってきた本をできた本棚に並べ終わってダイニングスペースに行くと、恋人はお店でよく見る服装でわたしを出迎えた。

ものがたりの中で、主人公の仲間たちが主人公に、「あなたはここにいるべきひとではない」とか言って、自分を犠牲にして主人公の道をひらくシーンがしばしばあるとおもう。
きのうひさしぶりに恋人のケーキを食べたわたしは、まさにそういうきもちになってしまった。

恋人は、わたしのためだけにお菓子をつくるひとになるべきではない。
よりたくさんのひとに、恋人のつくったお菓子が届いてほしいし、届けてほしい。

わたしにはうっすらと破滅願望と言うのか、いまいる現実がめちゃめちゃになったらいいのに、とおもってしまう部分がある。
マスクをし、手洗いうがいをし、移動を控え、友人や知人と食卓を囲むのを避けながら、同時にさらなるパンデミックをこころのどこかで望んでいた。

もちろんコロナ禍が続いてもわたしの生活がこのまま続いていく保証はまったくない。恋人はすでに収入が減ってしまっているし、わたしの勤め先も売上が減少している。
そして影響はとうぜん、仕事だけではない。家族や友人知人、わたし自身の健康や命が、現在進行形でおびやかされているのだ。
それでも毎日夕方にNHKニュースをチェックして、コロナ禍の収束を待つ一方、感染者数や陽性率が減っていることに落胆する自分もたしかにいた。

恋人のケーキをひさしぶりに食べたわたしは、昨日はじめて、こころからはやくコロナ禍が終わるといいね、と言うことができた。

恋人がケーキを盛り付ける手つきを見ながら泣き、食べながら泣き、食べ終わっても泣いているわたしを、恋人はたくさんのキスでなだめてくれた。

恋人のつくったものを食べてわたしが泣くのは、はじめてではない。
わたしにとっては情緒不安定ではずかしい思い出だけれど、結果的にわたしと恋人をつなぐきっかけとなったのがそのときの涙だった。
一緒に暮らすようになってはじめてのわたしの誕生日にまた、ケーキを食べて泣いてしまうなんてなんだかできすぎている、とあとになっておもった。

恋人のケーキは、以前と変わりなくおいしかった。
これまでの人生でいちばんうれしい誕生日プレゼントだとおもった。

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