273.[閑話]自分が思ってるほど、世の人は自分のことを見ちゃいない
ごきげんよう。
昨日、こういう投稿をしました。
着物でお出かけしたよ、というだけの、まあ言ってみればそれだけの話なんですが、
まる一日着物で外出してみて、かつて居合を習っていたときのことをふと思い出したので、今回はその話を。
もうかれこれ10年くらいくらい前の話になります。
当時勤めていた会社で転勤になり、人生初の一人暮らしをしてしばらく経ったころ。
新しい職場にも、一人暮らしにも慣れてきた僕は、かねてからやってみたかった「居合」を習ってみることにしました。
幸い、家から通える範囲で、日曜の夕方から稽古をしている道場があったので、そこに見学にいき、そのまま弟子入りしました。
それから再び転勤するまでの約2年ほどの間、稽古を続けましたが、思った以上に楽しく、いまだにやってよかったなあと思います。
段を取ってから買った真剣はもう手放してしまいましたが、稽古用の居合刀(刃がついてない、合金製の刀)はまだ手元にあります。家に遊びに来た初見の男子は大体手にしてテンション上がります(笑)
それで、着物の話ですが。
稽古は、着物(か、空手や柔道のような道着)に、袴という格好で行います。
最初は、着物と袴を持って行って道場で着替えてたのですが、荷物も増えるし、着替えの時間ももったいない。(その時間分刀が振れる)
兄弟子たちも大体みんな稽古着で直接道場に来ていたこともあり、僕も途中からは家で着物に着替えて通うことにしました。
しかし、車で通ってくる師匠や兄弟子と違い、こちとら電車通いです。
はじめは、着物で刀とリュック背負って往来を歩き、電車に乗るのに、かなり心理的な抵抗がありました。
「変な目で見られるんじゃないだろうか…」
という。
しかし。
ぶっちゃけすぐ慣れました。
このとき体感したのは、
自分が気にするほど、世の中の人は自分のことを注視していない
ということ。
二度見くらいはされますが、まあその程度です。
結局、自分のことを一番見て、一番気にしてるのは自分なんだなあ、と思った出来事でした。
もちろん、だからと言って人目を憚らないような振る舞いをするのはよろしくありませんが、このことに体感で気付いてから、すこし生きやすくなったなと思います。
(その後、調子に乗って、新幹線で東京の友達と会いに行って遊ぶときにも着物で行ったのは、ちょいやり過ぎた気もしますが…)
余談
ちなみに、よく聞かれるのですが、
「そもそもなんで居合を習おうと思ったの?」
ということについて。
これは、僕自身が兄弟子・姉弟子に聞いて、異口同音に返ってきた答えが全てです。
「だって、刀ってカッコいいじゃん」
そういうこと!
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