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188.旅行記① 2004年9月~上海・内モンゴル・北京~(後編)

ごきげんよう。
前回記事の後編です。

前置き無しで早速いきますね。

2004 奔流中国 内モンゴル・上海・北京

9/22(水)

 泊りがけのキャラバンは今日で最後の3日目。
 次郎丸も ようやく 言うことを聞いてくれるようになったか、と思いきや、かなり逆らわれた。きわめつけは最後、馬から下りて引いて歩くときに 皆 馬と一緒に歩いているのにヤツだけは歯向かいまくってくれて、引っ張っていかなくてはならなかった。 なんか自信を一気になくした。
 本日は羊の解体を見学した。 話には聞いたことがあるが、実際に見ると羊の悲痛な叫びなどもあり、かなりキツい光景だった。「死」の目というやつを見たよ。俺達はキレイごとの生活をしてんだなと思わせる光景であった。
 あ、そうそう、後 今日モンゴル相撲を体験。 2敗。けっこう悔しい。いいところまで行ったんだけどなぁ。
 さて、明日は5時起きで朝日を見るそうだ。 5時か。きついだろうなー。

9/23(木)

 5時に起きて朝日。草原の朝日は、あまりにもわかりやすくキレイだった。最後の乗馬。次郎丸は最後の最後にちょっとだけ言うことを聞いてくれた。馬との別れ。そして現地の人々との別れ。別れはどうしても湿っぽくなるね。友情の証だという青いターバン(ハタ)をくれた。
 バスで町へ。どんどん遠ざかる草原を見て、この草原での生活をあっという間に忘れてしまいそうで少し不安になる。
 フフホトのバザールで買い物。アクセサリ類をいやほど買った。 草原を手のひらから水がこぼれるように忘れていく。街に慣れていく。

9/24(金)

 北京。半日の自由行動は土産買いラストを足マッサージに使うことにする。故宮とかも行ってみたかったが、時間がないので天安門をくぐるだけにとどめた。4人くらいで固まって歩いたのだが、けっこう道に迷ったりして皆を振り回してしまった。やっぱりなるべく少人数で行くべきです。
 自由行動終了後、駅で集合。2人ほどかなり遅刻し、やきもきした。まあ無事で何より。 最後の寝台列車。 一番のコンパートメントの人は知らんおっさんが2人もいるので、ちょっと気の毒。 同じコンパートメントの人と、張さんをまじえて話をした。張さんに 熱いものをもっている、老後は大物になる と言ってもらっちゃったよ。ほめ言葉として受け取っておこう。
 消灯後、音楽を聴いていると、いろいろなことが思い出されてきて、普段めったにないセンチな気持ちになる。帰ったら この気持は忘れてしまうだろうから、ここに記しておく。
 いろいろな人との出会いがあって、毎日が新鮮だった。

張さんというのは、この奔流中国というツアーのガイドであり、ツアーの企画会社の社長でもある人ですね。
なかなかの自由人で面白い人でした。


9/25(土)

 寝台車で上海着。ホテルに入って 朝食(うまい)を食べた後 1階の店を見て回る。 お店の中で 日本語が異様にうまいメガネのおっさんに話しかけられる。何と社長だった。しかも、何とアクセサリをただでくれた。いい人だったのかも。感謝。ホテルを出て、一路 港へ。
 あぁ、来た時と同じ光景がある。本当に帰るんだなあ。
 船に乗るともうあんまりやることがない。無駄に歩き回ったり卓球をしたり。 台風が近いとかで、船はものすごく揺れる。
 みんなあんまりどこにもいないので なかなか連絡帳がコンプリートできない。

連絡帳というのは、ツアーで一緒だったみんなに連絡先(携帯電話番号とメールアドレス)と一言を書いてもらってたやつのことです。
そう、この時期、SNSとかなかったんですよ!(mixiがこの翌年あたりから流行りだした)

9/26(日)

 朝起きたらいきなり1時間進んでいたので参った。
 朝食のあと、みんなと話をしてたらおっさんの話になった。話しているうちに驚愕の事実が発覚。モンゴルの社長のおっさんは、エロエロだった!!治療やマッサージにかこつけてのセクハラの嵐。現在のところわかっているだけで被害者は3人。ほかにも隠れ被害者は多数いるかも…
 昨日も書いたが船の中はホントにすることがない。電車に乗ってた時は別れが近いから話に花が咲くかと思ったが、実際みんな疲れて寝ちゃってるし。

9/27(月)

 最終日。日本帰国。とにかく長い1日だった。朝、昼、夜で同じ1日だとは思えないくらいに。書きたいことは沢山あるけど、沢山ありすぎてうまくまとめられない。 まずは一言。素晴らしい経験だった。この2週間で得たものはすごく大きいと思う。 けれどそれで明日から何か生活が2週間前、つまり出発前と比べて何か大きく変わるかというと、多分そんなことはないだろう。気持ちっていうのは たった1晩寝ただけでも 冷え切ってしまうものだから。 明日からまたいつも通りの生活を続けるうちに、どんどん心もすり切れていって、今 大きいものを得たと思うものが 大したことなく思えたり、この旅を ただの旅行に過ぎなかった、大きく考えすぎていたと、冷めた目で見てしまう日が きっとこのままだとくるだろう。 けれども、たとえカタチには残らなくとも、何かを得たという今の気持ちの方が絶対に本物だと思うし、この旅は決してタダの旅行の1つではないはずだから、今、気持ちが熱いうちに、それをここに記しておく。 港で張さんが奔流中国の名前、「奔流」の意味について話していた。奔流とは、1つは この企画が発足した1996年に、中国が激動の時代を迎えていたことを指しており、2つには 流れのままに自由な旅を、そして3つ目には 参加者の心の流れをあらわしている。そして最後に、時代の流れに乗せられるのではなくて、自分が流れの先端をつくっていく、という気概を持つようにとの願いがこもっているそうだ。多いようで少ない学生という持ち時間を、日々に流されていくより、日々をつくっていくことを、心に決めて。 奔流2週間の日記、おしまい。

旅の終わりだけあって、日記に「熱」を感じます。物理的に文章量からして違う。

ここに自分で書いているとおり、そして、その後の人生においても何度も学び、体感したとおり、
感情や思いというやつは、時間とともに風化します。

だからこそ、

今、気持ちが熱いうちに、それをここに記しておく。

これ、めっちゃ大事だし、やってた自分、グッジョブ!

今、自分がnoteを書いてる理由(の半分)もここにあります。

いまの日々も、いつかこうやって振り返ることになるでしょう。
そのときに、どう思うか。
そして何より、そのときの自分がどうなっていたいか。

そこを思い描いて、これからも記事を書いていきます。

最後に

この日記帳、この内モンゴル旅の記録だけかと思いきや、その後の海外旅行の日記もつづられていました。

そちらも、またいずれ折を見て記事にしたいと思います。

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