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110.初めての「目標を決めて達成する」経験 [自分を綴る ③大学入試編]

ごきげんよう。

自分語り連作、第3弾です。
今回は多くの高校生にとっての一大イベント、大学受験のお話です。

これまでのお話はこちら。
①幼年編
②少年編

「よくその点数で行こうと思ったな」

さて、高校時代です。

前回ラストで「少し成績がよい」なんて書きましたが、それは高校入学時点と、1年生の間だけのこと。

当時は(今もかな?)高2で文系理系の選択があり、そこで文理が分離する流れでした。

当時の僕は、
まだ微かに残っていた科学の世界への憧れと、
あとは在学してた高校が「理系だけが進学校」だったという現実的な事情から、理系の道へ進みました。

ところが。
2年に上がってしばらくしてから、
物理がさっぱりわからなくなったのです。

数2・Bまではなんとかついていけていた数学も、
数3・Cになったらもうお手上げ \(^o^)/

にも関わらず、なまじ高一までは学年トップとか取っちゃってたもんだから、周りからは期待されるわけです。

一番期待して(くれて)いたのは、やはり母だったと思います。

「あんたは阪大か、京大に行く子や」

当時、事あるごとにそう言われていました。

すげえこと言うね。

多分、母はやや世間知らずだったのだと思います。
だって、別に自分は大阪大学や京都大学に行ってたわけでもないし、それどころか目指してたわけでもないですからね。無邪気に関西の国公立で有名なところを言っていたに過ぎないのかもしれません。

とはいえ、後から思えば、
そうした期待というか
「当然それくらいやるんでしょ?」
という信頼を持って接してくれたのは
すごくありがたかったな、と思います。

しかし周りの期待とは裏腹に
理・数が壊滅的なのは改善せず、
とうとうあるとき、全国模試で
数学8点、物理3点
という得点を叩き出しました。

さすがにこのときは、
第一希望の欄に書いた「大阪大学」という文字と
1桁の点数を見比べながら、
自分でも思いました。
「よくこの点数で行こうと思ったな」

やると決めて成し遂げた経験

しかし、なぜか当時の自分は
「おれは阪大に行くんだ」という謎の確信がありました。

現状を見たら絶対無理に思えます。
だって試験科目3つのうち2つが1桁ですよ。
しかも200点満点の試験で。

でも、なんでしょうね。
周りから言われ続けて退けなくなったというのもあるし、
「ここで妥協して目標を下げるのは、なんかヤダな」
という漠然とした思いが、自分でも意外なくらい根強かったというのもあります。

で、結局、文転して志望校には受かりました。

……サラっと一行で書いちゃいましたが、
文転の決断、
学部の選定から始まる作戦立て、
国語と英語を底上げするために、普段コミュニケーションを取ったことなかった先生にお願いして、過去問の採点をやってもらう……

などなど、
「なんとしても行く」と決めてからは、
努力の仕方がガラリと変わりました。

いま思えば、
ただ漫然と頑張るのではなく、目標達成に焦点を合わせた努力をする
という経験を、このとき初めてしたのでした。

この経験は、ひょっとしたら
志望校に入れたこと以上に価値があることかも知れません。

(とはいえその価値には、そこから10年以上気づいてませんでしたが……)

さてそんなわけで、
晴れて志望校には入れたわけですが、そこでどんな学生生活を送ったかについては、また次回。

(続く)

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