見出し画像

162.「観客の何かを変えてしまう力が映画にあるのなら—|映画感想⑧『すずめの戸締まり』

ごきげんよう。
話題の映画『すずめの戸締まり』を観てきました。

観たの、もう2週間以上も前ですが。

ただいま。

映画そのものというより

映画そのものを観ての感想は、
「面白かった」
「映像が綺麗だった」
「音楽も良かった」
ぐらいで、
十分楽しんだし満足したけど、深い感動とか強く残る余韻とか、そういうのはとくに感じなかった
…というのが正直なところでした。

(余談ですが前に「君の名は」を観たときも同じような感想を覚えたのを思い出しました。こうなると、新海監督の他の作品も観てみたいところです)

考えさせられたのは、劇場を出て、他の方の感想を読んでからでした。

劇薬、あるいは特効薬

最後のシーン、僕は「感動的な場面だな」とは思いつつ、その受けとり方は記号的で、実際に強く感情を揺さぶられたわけではありませんでした。

しかし、観賞後、これまでネタバレ防止に見ないようにしてきた様々なブログやSNSで人の感想を見ていて、ひとつ、はっとするものが目に止まったのです。

それは、こちらの記事。

―今、観終えて、あるいはもう二度とこの映画は観られないんじゃないかと思いました。
はい、観たくない、のではなく、観られない、と思ったのです。
なぜなら、満身創痍になるくらいに感動し、嗚咽して座席が揺れて隣の人に
「あれ、地震じゃね?」
と訝しげに見られてしまうほどだったからです。
《天狼院通信》/ 三浦 崇典(天狼院書店店主)

そこまでの感動を?!

なぜだろう。
どこにだろう。
自分がくみ取れなかった部分はどこだろう。

そう思って読み進めると、おそらくこれが答えかな、という一節がありました。

―最後の言葉、セリフにすべてが集約されていて、新海誠監督は、最後のあのセリフを言わせるために、この映画を創ったのではないかとさえ思いました。

簡単に総括してしまえば、出身地がある特定(*複数)の地域で、生きるか死ぬかと最近本気で悩んだことがあるくらい辛いことがある人には、劇薬のように効きます。もう、嗚咽して、座席が揺れるくらいに。

そして、きっと、こう思うはずです。
********************************と。

そう、この映画は、観る人を”再生”させ、蘇らせる効果があるのかしれません。

おそらく、この映画を観て、何ごとも起きなかった人は、平和なのでしょう。
それを確かめるためにも、観に行ったほうがいいかと思います。
もし、感動が弱かった人は、自分は平和なんだと喜んでください。
※***部分は筆者により伏字

ここを読んで、なるほど…!と思いました。

おそらく、僕は平和なのでしょう。

「どう」思うはずなのかは、ぜひ、元のブログを読んでみてください。
それもできれば、映画を観たあとで。

思い出した一文

そんなわけで腑に落ちたところで、ふと、謎の感慨を覚えました。

物語というものが、ここまで人の心を揺さぶり、奮い立たせ、立ち直らせるほどのパワーを発揮するということに。

今回のすずめはそういう意味では僕には刺さりませんでしたが、僕自身も、物語に心震わせ、奮い立ち、時に救われもした経験があります。

物語とはつまり、言ってしまえば「つくりもの」です。それなのに、時に現実以上に人の心を打つことがある。
不思議と言えば不思議です。

なんでなんだろうな、と思ったとき、とある一文を思い出しました。

舞城王太郎という小説家の、ある小説のなかの一節です。

ムチャクチャ本当のこと、大事なこと、深い真相めいたことに限って、そのままを言葉にしてもどうしてもその通りに聞こえないのだ。そこでは嘘をつかないと、本当らしさが生まれてこないのだ。涙を流してうめいて喚いて鼻水まで垂らしても悲しみ足りない深い悲しみ。素っ裸になって飛び上がって「やっほー」なんて喜色満面叫んでみても喜び足りない大きな喜び。そういうことが現実世界に多すぎると感じないだろうか?そう感じたことがないならそれは物語なんて必要のない人間なんだろうが、物語の必要がない人間なんてどこにいる?まあそんなことはともかく、そういう正攻法では表現できない何がしかの手ごわい物事を、物語なら(うまくすれば)過不足なく伝えることができるのだ。言いたい真実を嘘の言葉で語り、そんな作り物をもってして涙以上に泣き/笑い以上に楽しみ/痛み以上に苦しむことのできるもの、それが物語だ。
暗闇の中で子供 (講談社ノベルス) | 舞城 王太郎

そう。

そうなんですよ。

ありのままをそっくりそのまま言葉にしても、全然まったく伝えきれない。
そういうことって、たくさんあるように思います。

ありのままの事実100%でも伝わらない「ほんとう」を、
その体験を共有しなかった人にも、事実以上に伝えうる手段。

それが、創作物の力であり、可能性なんじゃないだろうか―

「観客の何かを変えてしまう力が映画にあるのなら…」

そこまで思ったとき、ヘッダー画像にも載せている新海誠本の見開きの、新海誠監督のコメントが改めて刺さりました。

「観客の何かを変えてしまう力が映画にあるのなら、美しいことや正しいことにその力を使いたい」

なんて美しく、正しい意志表明でしょう。

これは決して単なる綺麗ごとじゃない。

もちろん、現実はどうだかわかりませんが、僕はそう信じたいです。

行ってらっしゃい

なんか今回は映画感想というか、途中からへんな方向とテンションにいっちゃいましたが、ともあれそんなわけで僕にとっては、「物語っていいな」と再発見させてくれた作品でした。

あなたにとってはどうでしょうか。

まだ上映しているようなので、よかったらぜひ観に行ってみてください。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?