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ヴィクトール・オルタ(1861~1947)

(概要)
ベルギーの建築家です。ヴィオレ=ル=デュクらの影響を受けて、新しい時代の息吹を感じつつ、鉄や石材を使いながら、それらを自由な曲線でデザインしたアール・ヌーボーの建築家です。タッセル邸、ソルヴェー邸、人民の家、イノヴァシオン百貨店、ボザール館などが、代表作として挙げられます。キャリアの後期は、教授職などの要職を歴任しました。活力のあるアール・ヌーボーの造形を展開していた時期は短く、のちには、因習的な古典主義の作風に戻りました。

タッセル邸 

ソルヴェー邸 

(ヴィオレ=ル=デュク)
19世紀フランスの建築家、建築理論家です。中世建築の修復、及びゴシック建築の構造合理主義的解釈で知られています。
近代建築家たちに与えた影響はとても大きいものであり、機能主義的に建築の有用性を重視した彼の理論はアール・ヌーボーの建築家だけでなく、20世紀の建築家たちに多大なインスピレーションを与えました。
(アール・ヌーボー)
ブルジョワジーの都市文化の表像です。19世紀から20世紀初頭にかけてのヨーロッパは、パリを中心として華やかでコスモポリタンな都市文化の花開いた、豊かなる一時期を享受していました。この繁栄の状況を彩った芸術・建築の様式のことです。その呼称は、もともとは美術商サミュエル・ビングが、1895年にパリに開店した画廊の名前に由来しています。この画廊で取り扱われた新しい傾向を持つ芸術作品が、潮流の特徴を代弁していたからです。
(古典主義)
ここでいう古典主義とは、古典主義建築のことを指します。ギリシア建築やローマ建築などの古代の要素を取り入れた建築様式です。

(本文)
オルタは、ベルギーのゲンツで、靴職人の息子として生まれました。少年時代には音楽、そして建築とデザインを学びました。

17歳のときパリに渡り、装飾デザインのスタジオで働きました。1870年代末のパリはきわめて建設活動が活発で、1878年の万国博では、ヴィオレとエッフェルにより鉄とガラスの大ギャラリーが建設され、エッフェルとボワローによるボン=マルシェ百貨店がダイナミックで開放的な鉄構造を示し、またオペラ座も竣工しました。オルタは、これらにおおいに刺激を受けました。また、ヴィオレ=ル=デュクの合理主義理論、すなわち鉄構造を大胆に使用することができるという信念、その時代を反映した真実の建築という理念も、オルタに深い影響を与えました。ベルギーの近代にふさわしい様式の発見へといざなっていました。

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