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【2024.05.19】さようなら。さようならの日

こんばんは。シュシャンです。
またまたお久しぶりですね。
GW明け、連日残業続きでこの週末は
ぐったりでした笑
みなさんは、五月病大丈夫ですか?

さて、今日はこの週末のことを綴っていきたいと思います。

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この1週間はバタバタの毎日だった。

連日12時間以上の勤務。繁忙期とはいえ
3月に「自由に自分でスケジュールを組める」外勤営業から、内勤に異動した自分にとっては
精神的に大変な毎日だ。

金曜日、定時を1時間過ぎた午後7時過ぎに
会社を出て、自宅近くの焼肉屋に向かう。
連日残業を頑張った自分へのご褒美のためだ。
1人でも入りやすいこの焼肉屋の席はカウンターのみ。たまに、カップル横並びでいっぱいの時があるが、この日は金曜の夜にもかかわらず自分だけだった。二十代も中盤を過ぎ、「脂」がダメになった気がする。サシが入った肉を食べるとなんかこう、胃にくる。胃がもたれる。だからこの日も赤身肉ばかり。「まだ若いんだから、そんなこと言わずに脂の乗ったやつ食え食え!」どこからかそんな声が聞こえてきそうだがそんなの無視だ。

2時間ほど焼肉店滞在し、酒もたらふく飲んだ。生ビール2杯、瓶ビール2本、ハイボール2杯‥‥。多分そのくらいだったと思うが記憶は
定かではない。
店を後にし、煌びやかな金曜夜の歓楽街をひとり家路につく。酔っているから寂しさなんで微塵も感じなかった。ホモなこと、独り身なこと。周りが結婚し始めたこと。先週の土日は2日続けて、友人の結婚しました報告と結婚式の招待が来て落ち込んだこと。
そんなこと寂しいとは思わない。なぜなら酔っていて自分のことさえ何がなんだかわからない状態だからだ。

家に着いた。確か時刻は23時過ぎ。比較的早い時間の帰宅。部屋の窓を全部開けて、夏を思わせる夜風を浴びながらコンタクトレンズを外す。すると、ぼやけた視界なのにも関わらず、突然現実世界に戻されたような気分になった。苛立ちが湧きはじめて、外したコンタクトを5階の窓から外に向かって「ん"っっっ」と言いながら投げた。

「クッソ、死ね。みんな死ね」

最近全くうまくいっていない片想いしている後輩との関係を思い出し、発してしまった言葉だった。異動してから元々同じ部署だった後輩の彼と仕事の価値観が異なることに気づき、毎日上手に
コミュニケーションが取れない。
話したくても話せない。どうしていいかわからない。毎日毎日消化不良。彼が別の人と楽しそうに喋っているのを見るとムカムカしてしまう。
自分らしくないこの思い。

ため息を深く着いてベッドに入る。1K6畳の狭い部屋の3分の1を占めるベッドに入る。シングルベッドで誰も抱けない夜。夢も抱けない夜。
「こんな歳にもなって自分がなんて情けないんだ」泣きそうになりながら眠りについた。

目が覚めたのは午前2時。
家の外で騒ぐ若者の声で目が覚めた。
窓をあけたままだったから、彼ら彼女らの
賑やかな声が聞こえた。「金曜の夜だなあ‥」
そんなことを考えていたが、酒を飲み過ぎて
時々何かが胃を逆流してきて、なかなか眠れなかった。3時になっても4時になっても。
6畳の狭い部屋を彷徨って、
ちいさなクローゼットを開けてみた。いつも通り服が掛けられていた。目線を下にやってみると
ゴミ袋が4袋置いてあった。いつもは見て見ぬ振りをするこの袋の正体の中身、それは昔の思い出だ。苦しい思い出が詰まっている。

「親のために」「同級生を見返すために」Uターン就職を選択した自分。都内で学生生活を過ごしコロナ禍1年目に生まれ育った田舎で社会人になった。就職した企業は地元の人間のほとんどは知っている会社だった。コロナ禍でどうなるかわからない毎日。同期はいない、みんなマスクをしている。誰が誰だかわからない。前例がない事態の毎日に上司もどうしていいかわからなそうだった。当時は実家から職場に通っていた。家に帰ると父が「お前が〇〇に就職したって言ったら取引先の人がすごい!って言ってたよ!!おまえよかったな!」当時は嬉しかった。田舎で苦しい毎日を送っていた学生時代の自分が報われた気がした。

しかし、それも長くは続かない。
田舎のガラパゴス化した組織で働く窮屈さ、どれだけ頑張っても報われない年功序列制度。大学の同級生はそれぞれの道でやりたい仕事をして活躍している。やがて自分の心に霧がかかっていった。働けば働くほど、特定の上司から嫌がらせをされ、毎日毎日気分が晴れなかった。家に帰れば親が「お前の会社は〜、〇〇のお母さんがすごいって〜、、、、、」自分の職場に対する周りの声もうるさかった。

そんな中、入社3年目の春、親と些細なことで喧嘩をして家を出た。不動産会社に勤務している高校時代からの友人に相談して、実家から離れた地元の繁華街近くのボロアパートで一人暮らしを始めた。契約から入居まで2週間。両親には何も言わずに、衣類や仕事の資料などを適当に4つのゴミ袋に詰めた。一人暮らしのアパートに向かった。

一人暮らしのアパートは、メゾネット型の1LDK
で、1階が風呂と6畳の部屋とクローゼット。2階が6畳のリビングダイニングだった。1階にはエアコンがなく、仕方なく2階を生活の拠点にして
1階はゴミ袋に詰めた荷物を置くための部屋になった。

その頃の自分の心は、これまで以上に荒んでいった。毎日1番に会社に行き、最後に会社を後にする毎日。食事を作る余裕もなくコンビニ弁当とストロングゼロを買って家に帰る毎日だった。
休みの日はリビングダイニングでひたすら寝る。
1階のゴミ袋に詰めた荷物なんて見向きもしなかった。心が荒んでいくのが耐えきれず、入社3年目の冬退社を決意し、再び東京に行くことに決めた。会社内でやりたい仕事あった。キャリアプランも決めていた。社外の人にチヤホヤされる毎日も悪くなかった。けど、自分が死んでしまう。そう思った。

都内への引越しは、少しでもお金を浮かすために
自家用車で荷物を運んだ。高速で約4時間、アパートから都内の新居まで2往復で荷物を運んだ。
荷物は、アパート1階にあった4つのゴミ袋に詰めた。元々詰めた荷物の上に新しい荷物を詰めていく。袋が破けたら二重三重にして袋を限界まで引っ張り荷物を詰めた。

都内の新居は5階建てマンションの最上階だった。マンションの近くの駐車場にSUVの自家用車を駐車して、袋を担いで運ぶ。適当に詰めたから中身が何か把握してなかったが、不審な人物と思われないように急いで運んだ。6畳の部屋のクローゼットにゴミ袋3袋を置いた。そのほかの荷物も引越しを終えて、都内での新生活が始まった。
毎日開けるクローゼット。ハンガーとシャツとネクタイを毎日手に取って出勤をする。クローゼットの中のゴミ袋は視界に入れないようにした。休みの日はクローゼットの扉を閉め切って、完全に仕事モードをオフにした。

夏の夜風を感じ、胃の不快感で目が覚めたら金曜の午前3時、何も考えずクローゼットを開ける。ゴミ袋が3袋置いてあった。凝視してしまった。
「こいつと向き合わなければいけない。ずっと無視し続けてきたこいつと向き合わなければいけない」心の中でつぶやいた。ゴミ袋を開けてみると、田舎で働いていた頃何時間もかけて作った下手くそな企画書、当時の会社の給与明細、大切なお客さんからの手紙、大量に交換した名刺の束、愛していた服、ズボン、パジャマ、使っていた筆箱やびっしりと仕事のメモが書いているRollbahnのノート、人生に行き詰まり読んでいた自己啓発本が詰まっていた。ひとつひとつ手にとって、当時のことを思い出す。楽しい記憶よりも辛い記憶しかなかった毎日だった。「都内の今の会社で経験を積んだら、田舎の前の会社に再就職してやりたかった仕事をしようか」今でもこんなことを思っていた。だけどもう思わない。自分をもっと前進させるために、田舎の指定ゴミ袋に詰まった品とその思いを半透明のゴミ袋に投げ入れる。下手くそな企画書や給与明細、仕事のメモはズタズタに粉砕して、自己啓発本はひとつにまとめ、服やズボンは、着たい、履きたいと思ったものだけ洗濯機に入れた。お客さんからの手紙や大量の名刺はファイリングをして大切に保管をした。
「さようなら、さようなら」心の中でボソボソと呟きながら淡々と区別していった。

気がつくとカーテンの隙間から、陽の光が差していた。時刻は土曜日の午前6時半。
クローゼットに眠っていた、3つのゴミ袋は
全て消えた。

約3年、クローゼットの中に眠っていたゴミ袋。
コロナ禍、一人暮らし、転職。自分の全てを見つめてきたゴミ袋だったが、人生や生き方に迷っていた当時の自分の頭の中を表したような中身がぐちゃぐちゃだったゴミ袋はもう自分の目の前から消えた。

こんな自分でも、3年かかったけれども
過去の辛い記憶や嫌だった経験を直視して
さようならをすることができた。

今日日曜日も部屋中の掃除をして、
真新しい自分になる準備ができた気がする。

明日からの毎日、
より楽しく、素晴らしい日々が待っているといいな。そう思いながら日曜日の夜、ひとり床に着く。


シュシャン

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