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[思い出]初音ミク15周年

実をいうと、僕はあまり初音ミクに接してきてはいない。初音ミクは可愛いし、上記の三曲の他にも時折聴くものも多い。だけども、コンテンツとしてはあまり浸っておらず、ミク以外のキャラとはほぼ接点が無いと言っても過言ではないのだ。
Twitter等で交流のある方の中には熱心なファン、それも「MEIKO」好きな方もいるが、残念ながら、そして恥ずかしながらその点では関わるきっかけにはなり得ないのが実際のところ。

だが、いつからその存在を知っていたのか、そしてまた、どこでどのようにして「千本桜」といった有名曲と出会ってきたのか、もはや分からない程に、彼女はオタク文化の一般化に一致するように、日常生活に溶け込んできていたのだろう。
DS「太鼓の達人」に「メルト」などが収録されていたのも個人的には大きい。

15周年に際して、かんたんな昔語りエッセイを書こうと思い至った訳だが、その前提として、僕が「初音ミクファン/オタク」ではないのだということをはっきり明言しておかねばならない。

しかしそれは、初音ミクを好きでないことを意味しない。
推し文化の台頭により、その辺りのラインが曖昧になっているように思われるが、たとえば僕が初めて購入した美少女フィギュアは彼女だった。
もっと思い出を深掘りすると、「赤い羽根共同募金」のおまけとしていつぞやか貰った栞だったかに記載された初音ミクへの高揚感こそが、もしかすると、オタク以前の僕の美少女グッズとのファーストコンタクトなのかもしれない。

僕は遥か以前の幼い頃―などと書きだせば、いよいよ僕の実年齢も定まってきそうなものだが―オタクになりたくなかった。
誰から否定された訳でもない。ただ僕自身が育みだした偏見である。
両親はオタクとはかけ離れた性格・性質だったが、TVに時折、出てくるオタク像には好意的で、別に僕がオタクになっても「面白いから問題なし」と言っていた気がする。

その当時、新劇場版エヴァなど、様々な媒体でオタク文化が取り上げられていたのもあり、僕は少しずつオタクとなった。だけども、今でも僕がオタクと名乗らないのは、ある種の謙譲と尊敬による。僕は萌えアニメ等の作品をただ見て、時には感動していたに過ぎない。
名作といわれる作品の多くを知らなかった僕にとって、その当事者性や収集量の圧倒的な差を前にして、オタク的であるが、オタクには至らないという思い込みがあった。広義のコンプレックスといえるだろうか。自身がオタクとみられる気恥ずかしさもあったと思う。
だからこそ、栞でありおまけである初音ミクイラストは、言わば自分ルールの抜け道だったのだろうし、それ故に高揚感も記憶にあるのだろう。

僕はあまりグッズを買わなかった・買えなかったことが、考察・批評癖に繋がったのだと考えている。知識でオタクとなろうとしたのだ。だから、推し文化とは距離を取っているし「オタク」が一般化し、猶のこと僕はオタクではなく「アヤナミスト」等の名称を自身に当てはめている。

件のフィギュア。
ゴスロリ好きだった在りし日も思い出させる。

そういった過去もあって、初めての美少女フィギュアが、好きな作品のキャラ(綾波レイ等)ではなくて、初音ミクだったのは、これまでの偏見の最後の壁を打破した証拠なのだと思う。
そしてこれまた書きづらいところではあるが、諸事情によりそのフィギュアは既に手放している。だけども、これは、僕がもうその段階にはいない、頼らなくていいという指標でもあり、そこまで初音ミクファンの方々に恐縮する必要は無いと考える。

僕は初音ミクのもとを巣立ったのだ。これを卒業とは言わない。繰り返すが、今も幾つかの曲は聴くし、彼女という存在を愛でることはある(コンテンツに触れるという意味ではないことを表現)。
「オタクを卒業する」という言葉に違和感があるように、初音ミクは冒頭に既に指摘したように、日常の一部である。
それは奇しくも僕自身がそうであったように、今後もオタクであるか否かを問わずして、初音ミクは代名詞化され、国内外を問わず存在し続けるだろう。

僕はこれまた昔話なのだが、英語で好きな歌手を発表する機会があった。学校の課題かと問われても返事はしないでおこう。昔話だ。
僕はホームズの影響で長らくクラシック音楽ばかり聴いてきたので、曲ならまだしも好きな歌手となると、日本語でもいささか難問。
そこで、僕は初音ミクを選んだ。理由はコンディションに関わらない歌声の良さだったかと思う。

さて、コンディションによらない、というのは、冒頭ツイートに紹介したノベライズ『初音ミクの消失』ともかかわりが深い。
つまり、僕が最後に問うべきは、聴き手のいなくなったセカイでなおも、初音ミクは存在していると言えるのかである。
きっと幾度も語られてきたことだろうし、その対象が彼女でないとすれば、知性・書物・芸術など、様々な分野で追求されてきたテーマであろう。

歴史を学ぶ者として念頭に置いておくべきは、ほんの数百年で、まったく予想もつかない文化の差異が生じるということ。初音ミクは平成生まれ。
令和から新たなる御代へと遷りかわるときは来るだろう。否、仮に彼女で話に人類が衰退したとしてもいい。
それでもなお、彼女は歌姫なのだろうか。

15周年は記念すべきことである。このコンテンツ過多の時代、普及しているものこそ新陳代謝は早い。けれども彼女はその名を今もなお知らしめている。
やはり一つの「場」・プラットフォームに縛られない、二重三重の創作がそれを支えたのは事実。さもなければいずれ「サービス終了」が来れば終わったものとなってしまう。

「メルト」の特に二番の歌詞の主語は彼女か、それとも我々となるのだろうか。
僕にとって入口であった彼女は、これからもそうであり、また一面、サブカルチャーの守護天使として、今後の行く末をじっと見守っていることだろう。最後の審判のその日まで。

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