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村上春樹の新作「夏帆」読みました

週に1、2回、仕事帰りに地元の図書館に寄る。18時45分に着くのだが、閉館が19時なので、最長15分しかいられない。図書館に行くと大体文芸誌を読む。気になる作家の新作が出てないかチェックする。

新潮6月号を開けると村上春樹の短編が出ていた。タイトルが「夏帆」というのは意外だった。僕が好きな村上春樹のタイトルは「中国行きのスロウ・ボート」「ダンス・ダンス・ダンス」「遠い太鼓」などなど。どれも古い音楽、映画から取ったものだ。
「夏帆」という、女性の名前のタイトルは、らしくない。読む前から、「昔はこんなタイトル付けなかったのになあ」なんて思う。投げやりなタイトルにさえ見える。

1行目から、まあ最近の(ここ15年の)村上春樹という感じがした。あくまで事実を淡々と述べることがメインで、比喩はまあ少なめ、キザな言い回しなどもほとんどない。

……まずはポジティブなことから。やはりこの人の文章は読みやすいのだと思った。閉館までの15分で読み切ることができた。他の作家なら読み切る前に集中力が切れたと思う。時間を忘れて読ませてくれる数少ない作家の1人である。

ネガティブなこと。村上春樹は、もう昔の文体には戻れないということ。昔のように「多少外してもいい、俺の比喩はオリジナルだ」という気迫は、もう見れないということ。本人からしたらあの書き方には「飽きた」のだろうが、僕はやはりデビュー〜ダンス・ダンスまでの5、6年の文体が好きだ。ノルウェイの森と、今回の「夏帆」または「街とその不確かな壁」の、何が違うんだろう? ノルウェイの森のあの静かなテーマの中に、なぜあれだけの荒さを感じるんだろう。

村上春樹は妥協しない人だし、文学で世界のトップを狙える人だ。なのにどうして、ここ15年あたりの文体で書き続けるのだろう。満たされないのは僕だけじゃないはず……

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