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恋の駆け引き スタンダール「赤と黒」


こういうがっちりとした古典を読むのは久しぶりだったので、エンジンがかかるのに時間がかかった。上巻にかけた3分の1の期間で下巻を読み終えた。金原ひとみが『カラマーゾフの兄弟』の帯に「上巻読むのに3ヶ月、中下3日でイッキ読み」みたいなコピーを書いていたが、そういう感じ。やはり登場人物と地名の多さでいちいちつっかえてしまう。〇〇夫人、▼▼侯爵、■■公爵、××神父、、、こういう具合でどんどん新キャラが増えてくる。正直下巻になっても主要な3、4人以外の人物の違いは覚えていなかった。まあ漠然と「良い人」「悪い人」みたいに区別するだけで十分だと思う。

この本のテーマは「恋愛」だった。大概の小説は恋愛についてだ。でもこの「赤と黒」は正真正銘ド直球の恋愛という感じ。中学生がするような恋のかけひきを、200年前のフランスでやっているだけ。時代背景が違い過ぎて現代人が読むと馬鹿らしいと思える部分は多々あるが、当時の人にとっては「あるある」だったんだろう。読み進めていくうちにその19世紀フランス的感覚にちょっとずつ馴染んでいく。これが昔の、しかも外国の小説を読む最大の楽しみだろう。

正直、途中まではこの本がこれほど有名になっている理由が分からなかった。有名な小説を読んでいる時に陥る「この本が面白く感じられないのは、自分の理解が無いから・・・」という不安に、いつもながら苛まれることになった。そう感じた理由は上記の人や地名の名前の見分けがつかないのもあるが、一番は主人公ジュリアンの心理描写が長ったらしく、出てくるキャラのほとんどが説教口調で、とにかく冗長という点だ。背景が違い過ぎるから共感できないし、そもそもジュリアンの性格が好きになれない。これはスタンダール自身がこういう性格だったんだろうな、と読みながら何度も思った。そんなモヤモヤの状態を晴らしてくれたのが下巻261ページの次の文→

「一時が鳴った。鐘の音を聞くと、とっさに<梯子で登って行こう>と思った。天才のひらめきだった。うまい理屈が次々と浮かんだ。<これ以上不幸になるはずがない!>」


ここで一気にスタンダールを信頼した。その感じあるよなあ、と思ったのだ。
気になる女の子に冷たくされ、嫌われたんじゃないかと1人でどんどん悪い方向に思考が流れていき、判断力を失ってヤケクソで告白する感じ。こういうのを読むとたとえ1000年前だって人間の恋愛像みたいなものはほとんど一緒なんだろうな、と思う。

一通りの登場人物が出揃ったら、あとは「ジュリアン」と「レーナル夫人」と「マチルダ」の好き、嫌い、好き、嫌い、、、この無限ループに入る。

「恋愛は追いかけている時が一番楽しい」

これがスタンダールの一番言いたいことだろう。片方が好きになったら片方が冷めて、の繰り返し。女性側を2人に設定しているところが、物語に深みを与えているポイントだ。マチルダとの駆け引きの何が面白いかって「この後にレーナル夫人来るぞ・・・」というこちらの期待がどんどん膨れ上がっていくところである。マチルダはヒロインにしては金持ち娘の高慢ちきと性格が少々悪すぎるので、読む側はやはりレーナル夫人を応援してしまう。


380ページの

「これだけはもう我慢できません」とマチルダが叫ぶシーン。これは新しい!と思った。普通そんなこと思っても本人の前で言わないのだ。好きな人に好きになってもらえないからって、女性側が好きな人の前で「あー!モヤモヤする!」なんていうわけない。そこが笑えると同時に、スタンダールの言う情熱みたいなものを感じた。そう、この本の見所は何と言っても

「作者スタンダールの恋愛へのアツさ」

なのだ。

ここでジュリアンが一気に優勢になる。駆け引きの勝利。これを機にレーナル夫人の方に徐々に舵を切っていく。この辺からのページの進み具合はすごかった。


終盤、裁判のくだりに入ってからは失速した。というか、裁判ネタになると僕は必ず「異邦人」を引き合いに出してしまう。時代が全然違うんだけど、悪いけど異邦人の裁判シーンのスリルに比べたら平凡過ぎた。レーナル夫人が出てくるのは嬉しかったけど、マチルドが叫んだ時点でこっちが勝手に満足してしまったというのがあると思う。


まとめ

思い返せば、ジュリアンとマチルドの性格がほぼ完璧に想像できているというのが、この本の凄さだと分かる。心理描写のカットをここまで徹底的にすればこれほどの奥行きが出るというのは発見だ。ヘミングウェイや村上春樹のように淡々とスケッチをしていくのよりも迫力がある。疲れもするけど。また少し休憩すればこの手の不倫小説を読みたいと思う。長編の満足感はやはり長編を読んだ後に思い出される。ブックカバー、考えものだと思った。長期間リュックにむき出しで入れていたので、表紙がボロボロ。

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