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ポール・オースターの「ガラスの街」を読んで

どうやってこの作家を見つけたのか? 多分だけどネットで「アメリカ文学 青春」みたいなことを調べたんだと思う。そしたらなんかのブログでオースターの「ムーン・パレス」が紹介されていた。オースターという名前はどこかで聞いたことがあったので調べてみると、柴田元幸が訳していることを知った。それで間接的に知っていたんだと思う。

よさげな作家を見つけたらデビュー作から読みたいので、この「ガラスの靴」を一冊目にした。ニューヨーク3部作というのがあるらしく、ガラスの靴はそのトップバッター。ああ、よさそうな作家見っけと思った。


で、梅田の紀ノ国屋で買って帰りの阪急電車で読み始める。まず思ったこと。訳が丁寧。

柴田元幸の本を読んだことはなかったかもしれない。無駄のない流れるような文章で、一歩引いたよな余裕がある。だから村上春樹が惹かれるんだな、と納得。

もちろん、オースターの文章自体がとてもいいんだろう。この前に読み終えた本がジョン・アップダイクの「ケンタウロス」だった。オースターを読んでると「ひねくれたところのない、なんて優しい文章だろう」と感謝の気持ちが溢れてきた。それくらい「ケンタウロス」は複雑な本だった。

でも序盤のピーター・スティルマンの独白を見た時「あーなるほど」と思った。僕はこう思ったわけだ。
作家のデビュー作にはやはりある程度「変わったこと」が求められるんだなあ…

その独白は意味の解らない文章が10ページ?くらいひたすら繰り返されるものだった。次のページを開いてまだカギかっこが無かった時、僕は絶望した気分になった。せっかく地の分がリズミカルで心地いいんだから、もっとそれを読ませてよとなっていた。情景描写が良い作家とは、何をやっても許される。

読み進めていて比較対象になってきたのがレイモンド・チャンドラーだ。チャンドラーはオースターの上位互換という思いがこびりついてしまったのだ。オースターは風景の描写が素晴らしい。ただ、会話文になると「70点」くらいになってしまう。もちろん70点も普通に高得点なのだが、チャンドラーのあの「皮肉」が欲しいのだ。

私立探偵モノとしては、オースターは新鮮である。型でいえばチャンドラーが「ありきたり」で、オースターが「アバンギャルド」になるんだと思う。しかしそのありきたりは全然かまわないのだ。マーロウというキャラクター一人でその本は成立するのだから。

とはいっても、とりあえずオースターの「ニューヨーク3部作」は読んでみようと思う。インパクトが強烈ではなかっただけで、文体も好きだし、充分面白い作家だったのだ。

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