君の書く、7色の手紙
4歳の息子は今年の6月から保育園に通っている。
顔見知りのいない園にいきなり放り込まれた彼の重圧は計り知れないが、幸い、元々人懐っこい彼に友達ができるには、それほど時間を要さなかった。
ただ、一人っ子な上に、それまで男の子の友達しかいなかったので、クラスの女の子と今ひとつ馴染めていないようで、出てくる名前も、男の子の名前ばかりだ。
まあ、それは仕方ないかもしれない。
教室に入っていきなり、「エンダァぁぁあ!!!」とホイットニーヒューストンの代表曲を叫ぶ男に好んで近寄る女子はいない。
分かっちゃいるが、それでも女子から珍妙な目で息子が見られるのは少し悲しいので、「急に歌い出すのはやめなさい」と口酸っぱく言い聞かせており、それが功を奏したのか、ここ最近、ようやくお友達に女の子の名前も聞くようになった。
突然のホイットニーが、3日に一度になったおかげだ。
あんずちゃん
「今日はねー、あんずちゃんの隣でご飯食べたの」
「そっかー」
未だ保護者会も無く、昨今のウイルス対策で送迎も素早く行わなければいけないので、当のあんずちゃんがどんな子なのか、親の私はイマイチ把握できていない。
朝、息子の手を引いてロッカーに連れて行ってくれたあの子だろうか。
それとも、一緒に折り紙をしていたあの子だろうか。
ふわふわと浮かぶ雲のような存在のあんずちゃんは、大事な友達になったらしく、「今日は何したの?」と聞けば「忘れた!」というのが常の息子からしょっちゅう名前が出る程で。
楽しそうにその子の名前を出す息子を、微笑ましく思い、いつか分かる日が来ると呑気に考えていた。
しかし、それは叶うことは無く。
私は、あんずちゃんがどんな子なのか、どんな顔をして笑うのか、知る機会を逸してしまった。
別れが唐突だと、のんびり構えている時間は無いと知っているはずなのに、いつだって私は、ぼんやりと過ごしてしまう。
その日、教室に息子を迎えに行くと、空のロッカーが目を引いた。
というのも、それは息子のロッカーの真横だからだ。
空、ということは、このロッカーの主は居なくなったということで。
この地域は3歳児クラスといえど保育園は激戦ですぐに定員になってしまう。
こんな中途半端な時期の転園は珍しいな、と思いつつ、さっぱり綺麗になったロッカーを指さす。
「隣の子、いなくなっちゃんだね」
「そこね、あんずちゃんの」
あんずちゃん。
息子の貴重な女友達のあんずちゃんだ。
「そっかー。仲良かったのに残念だったね」
「うん…」
珍しく、息子は黙り込む。
いつもは饒舌に喋り倒し、叫び歌う「ポジティブ」をその身で表現した人なのに。
不思議に思いつつも、早く帰りたいので帰り支度を手早く済まして自転車に息子を乗せる。
外に出れば秋の夕日は短くて、もうすっかり夜の気配に包まれる中を、冷たくなりつつある空気をマスク越しに吸い込み自転車を漕ぐ。
「あんずちゃんとね、息子ちゃん、仲良しだったの」
「そっかー。いきなり居なくなって、びっくりしたね」
「うん」
「違う園に行ったんだね」
この近辺の保育園はどこも空きがないから、遠くに引っ越したのか。
このご時世、色々と配慮しなければいけないし、大変だな。なんて呑気に考える。
「ううん。お空に行ったの」
だから、その小さな声がとても硬いのに、咄嗟に返事ができなかった。
「それは……飛行機に乗って行ったってこと?」
カラカラ回る自転車のチェーンが大きく聞こえる。
「お空だよ」
それなのに、息子の小さな声はやけにはっきり聴こえてくる。
「違うところに引っ越して行ったってこと?」
「引っ越しって?」
「今まで住んでいた所から離れることだよ」
「じゃあ、そこから保育園に来ればいいじゃん」
「通えないぐらい、遠いんだよ」
「うん。だから、お空に行った」
「………お空に行ったは、違う意味になっちゃうよ…死んだってことになっちゃう」
「おお。死んでしまうとは情けない」
「ドラクエかよ。いや、ゲームと違って、現実の人間が死んじゃうと、もう会えないってことで…」
「あんずちゃんと、もう会えないよ」
息子はまだ、「別れ」をよく知らない。
だから、大人なら「お空にいった」は永遠の別れを意味するものだが、それ自体を理解していない。
今までは、保育園と幼稚園に分かれてもいつでも会える友達や、気が向けば電話で話せる祖父母との一時的なものだったのに、
あんずちゃんがいなくなったのは、自分が知っている「さよなら」と決定的に違うことに、衝撃を受けている。
今、初めて彼は、
「またね」と、言えない別れを、真綿のように白く柔らかい心で受け止めようとしているのだ。
カラカラ。カラカラ。
自転車の音だけが、無言の私たちを包む。
「ねえ、まま。おてがみ書きたい。あんずちゃんに」
帰るべき家の明かりが見える頃に、息子はそう呟いた。
届かない手紙
手紙を書きたい、という息子の言葉が消えないうちに、家に着いて早々に折り紙とクレヨンを机に用意する。
便箋で書か無いのは、手紙を書く習慣がすっかりなくなった我が家にそんな洒落たものは存在しないからだ。
それ故、目についた折り紙を手に取った。
好きな色を選ばせて、裏に返すと白い面が現れる。
お空に行ったの真相は不明だが、もうあんずちゃんは行ってしまった。
届かない手紙だ。
「あんずちゃんは、何色が好き?」
「んーとね、ぴんく」
「じゃあ、ピンクのクレヨンでお手紙書くといいかな」
私がピンク色のクレヨンを手に取って渡すと、まだ文字が書けない息子はぐりぐりと線を引っ張る。
「ねえ、まま。これ、あんずちゃんに渡したい」
「えーっと……」
私は、嘘が下手な人間だ。
子供に嘘をつきたくない!とかそういう訳ではなく、本当に馬鹿正直な人間なので、住所も知らない、去ってしまった人間に手紙は渡せない事実に言い淀む。
「じゃあ、やめる」
こういう時、息子は異常に鋭い。
くしゃ、と書いた手紙を脇に寄せてしまう。
(何ということをしてしまったんだ)
大丈夫だよ、届くよ。ママは渡せないけど、ポストに入れとけば、とか、そんな言葉がとっさに出れば良かった。
とにかく息子の手紙を書く気持ちを尊重しなければと焦り、気に入りそうな言葉を頭でぐるぐる考えれば、
「この鉛筆にする」
中途半端な言葉を口に出す前に、彼はひとつの鉛筆を握る。
それは、1本で7色同時に出る鉛筆だった。
ぎこちなく握って、くるくると新しい折紙の裏に試し書きをした彼は、すぐに「ままが書いて」と鉛筆を渡してくる。
「お手紙には、何を書けばいいかな?」
その問いに、小さく丸い頭は少し傾き、合わせてサラサラと絹糸の髪は揺れる。
やがて、ゆっくりと彼は言葉を紡ぐ。
慎重に、一言一言、選びながら。
「えっとね……
あんずちゃん。
今まで、あそんでくれてありがとう。
いっぱい、いっぱい、たのしかったよ。
お空に行っても、元気でね。」
わかれ
「虹だ」
満足そうに、息子は目を輝かせる。
紙いっぱいに書かれた7色の手紙は、鉛筆の繊細で、柔らかく、美しい色で彩られ、優しい言葉で溢れている。
「さよなら」も「またね」の言葉もないその手紙は、息子の気持ちと、あんずちゃんとの思い出をそのまま切り取ったようだ。
「虹なら、お空に届くよね」
ニコニコと微笑む息子に、ようやく彼が、何故7色の鉛筆を選んだのか合点する。
そうか。そうだったのか。
息子は、普通の手紙は届かないけれど、虹色で手紙を書けば届くと考えたのか。
行ってしまった、あんずちゃんに。
「そうだね。うん…きっと、届くよ」
今度は戸惑うことなく息子に頷けば、彼は満足そうに笑い、次の瞬間「おなかすいた!」と要求してきて、感情の切り替えの速さに思わず笑う。
そう。息子は、まだ幼い。
あんずちゃんとのお別れが今までのお別れと違うことを、理解はできているが境界があやふやでぼんやりしていて、しばらく引きずる「またね」の言えないさよならも、あっさり通り過ぎて行ける。
目まぐるしくも新しい日が、この子には明日も、明後日も、その次の日もあって、
何年も経った後に、初めて世界には様々な「さようなら」があると知った時には、繊細で柔らかい、お空に届くようにと虹色の手紙を書いた心は、力強く鮮やかな色で上書きされていくのだろう。
それは、成長とも言えるのだけど。
けれど、君の書いた、「さよなら」も「またね」も無いこの鉛筆書きの手紙を。
君の別れを理解する前の繊細な心を、いつまでも覚えていたいと、思うのだ。
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嶋津 亮太さんの「第三回教養のエチュード賞」に初参加してみました。
賞というものに縁が無い私ですが、息子が初めて経験したあんずちゃんとの別れは、彼がこれから経験する、様々な「さよなら」を理解する前の下絵のように思え、この教養のエチュードに参加してみよう、と筆を取りました。
初めて、さよならを自分の中で理解するまでには、私の心にもこんな優しい下絵があったのだろうかと思いを馳せるのです。
*あんずちゃんは仮名です。
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