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いつか、「やり直したい」と思う日が来る

最近、息子を怒るときにハッとすることが多い。

今まで、息子を怒るとき、とにかく息子の動きを止めることを重視していた。
なので、「コラ!」「だめでしょ!!」「やめなさい!!!」
と言った、短いフレーズを肺に溜めた酸素と共に一気に吐き出す。

というのも、活発に動き始めた幼児というのは、とにかく「命の危険」にまっしぐらに走っていく。
そして、親の言葉に耳を貸さない。

お前majiで馬耳東風
命の危機にまっしぐらYO!!

そんなフレーズが何度も頭の中で繰り返されるぐらい、何かしらに怒っていた。

なので、私の中で「怒る」の敷居がだいぶ下がってしまった。

これぐらい怒らなければ止まらない
このぐらいなら怒鳴ったっていい

そんな風に、思ってしまっている自分がいる。

けれど、息子は確かに成長していて。
今や私に怒られると、小さな肩を震わせて俯くことすらある。

(あ。やってしまった)

そんな彼の様子にハッとする。
私、こんなに怒らなくて良かったのに。
なんで言ってしまったんだろう。

今は気づいた瞬間、慌てて両手を広げれば、彼はすぐに私の胸に飛び込んできてくれる。
許してくれる。

でも、いつまで?
いつまで、子どもは親をすぐ許してくれるんだろう。
いつまで、こんな風に傷ついたことを分かるんだろう。

いつか、私は決定的に、失敗する日が来る。
そんな時に、「やり直したい」と願わずにはいられない。
狂おしいほど、後悔する。


先日書いた、「愛はうたかたの夢」で、母はもう一度育児ができる喜びに何度も高揚した。

母は、娘から見ても対応を失敗したな、と思えるほど世間体を重視することが多々あった。

私がいじめを訴えて登校を拒否した際に言われた、

「あなたが学校に行かなかったら、私が周りになんて言われるか分からないでしょ」

この言葉は今でも忘れられない。

私だけ忘れられないと思っていた。
けれど、違うのかもしれない。

もう一度育児がしたい、と思えるほど幸せな日々だったのと同時に、だからこそ、「やり直したい」と狂おしいほど望んだ日が、母にもあったのだ
(まさか胎児に戻すまでやり直したいと思われたのは大変心外なのだが)


失敗しないように、と頑張ることはできるだろうが、決して失敗しない育児を私はすることはできない。

息子の心を無駄に傷つけることだってある。
期待を踏みにじることもある。

そんな時に、「親だって間違うことはある」と居直らないで、素直に謝れるような人間になりたい、と思う。



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