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あしたのきのう、会えたなら

「一緒にあそんじゃダメだって…」

肩を落として私の元に来た息子の目には、噴水の飛沫以外のもので潤み、びしょ濡れの体は小さく震えている。

私はただ、見つめるだけだった。
3歳の小さな体を、呆然と見下ろしていた。



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あっち行けよ

それは、残暑が厳しい9月の初めの日。
夏ゼミの声から逃げるように息子と2人訪れた、ショッピングセンターの片隅にある水遊び場での出来事だった。


(人が多いな)

夏休みが終わって1週間経つのに、意外な程賑わっている。
もう市で営業している無料の幼児用プールは軒並み終了したから、皆暑さを逃げるために選んだ先は同じだったのか。

空いてると予想していたので少し残念に思いつつも、転々と置かれる荷物を避けて何とか日陰のベンチを確保する。
早速水着になった息子は、一目散に水たまりに走っていき、私はロングスカートを濡らしたく無いのでベンチで見学を決め込んだ。

風はぬるく、夏の名残に反射した飛沫が眩しい。
息子はキャーキャーと走り回る子供達に混じって楽しそうだ。

(暑くて大変だったけど、連れてきてよかった)

私に似ず、息子は他人と遊ぶのが大好きで、すぐに誰かと打ち解けて友達になる。
今は遊んでいる子供の中でも一際大きな声で騒ぐ三人組に声をかけていた。

(大きい子がお兄ちゃんで、あとは妹と弟かな)

1つしか無い噴水をその子たちが占領してるので、一緒に遊びたい欲が刺激されたらしい。
息子はニコニコと話しかけ、噴き出す水に手を伸ばそうとした、その時-

 「あっち行けよ!」

子供たちの歓声を突き破り、大きい子の声が響く。
同時に、どんっと押されて尻餅をついた。

(あっ)
駆け寄ろうにも、濡れるのに躊躇して動けない。
一方の息子は突然の事に虚を突かれた様子だったが、すぐに立ち上がり、『いっしょにあそぼ?』と再度誘いをかける。

「だめ!」
「遊ばない!」

何度も何度も話しかけて、その度追い払われて。
そして遂に、息子はとぼとぼと私の元に戻ってきたのだ。




生き方が下手くそだ

戻ってきた息子の姿に、ぎゅぎゅっと胸が締め付けられた。
苦しくて苦しくて、息をするのを忘れる。

それは、過去の私が見えたから。
寂しくて、つらくて、人と接するのが怖くてたまらない小さな私が目の前に現れる。


私は昔から生き方が下手くそだ。
要領は悪いし、人の何倍も努力しなければ人並みになれない。
友達の輪にも上手く入れず、教室の端にぽつんと外れて、いつまでも馴染めなかった。

『あなたは、私たちとは違うから』 
クスクス笑われ、仲間外れにされるなんて当たり前で。

(何が、どこが、どうして違うの)

その時の気持ちが嵐のように吹き荒れて、息ができず、
何とか手を伸ばして息子の冷たい頬に触れて、ようやく我に返った。

(もう私は、小さな子供じゃない。小さく萎んでしまった彼を、慰めなきゃ)

でも、こんな時、なんて声をかければいいんだろう。
どうするのが、最適なんだろう。

いい大人なのに毎回迷う。
子供時代、ずっとどうしたら仲良くなれるか分からなかった私は正解を知らない。

いつも他人任せだ。
こんな事がある度に、他に遊んでいる子に目をつけ、興味を向かせて誤魔化している。

「ほら、あそこにいる子は?やっぱり一緒に遊べなくて困ってるよ」
「今走り回ってるあの子はどうかな?あーそーぼ、って言えば一緒に遊べるよ」

なるべく明るい声で言うが、息子はやはり肩を落として首を横に振る。

「もう、あそばないの…」




「えっとね・・・」

息子はとにかく人が好きだ。
誰彼構わず声をかけ、後ろについて周りニコニコ話しかける。
勿論、今日のように上手くいかない日は多い。

その度悲しそうな彼の顔を見ると、答えを持っていないのがもどかしい。
私に出来ることが、彼の手を引いてその場から離れるしか無いのが、悔しくて堪らない。

どうしたら、優しいこの子がしょぼくれて歩かなくて済むんだろう。



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「あの子は今日、遊びたくない気分だったんだよ」

ふらりと寄ったコンビニの片隅で、子供時代の口癖が出る。
何度も、何度も、言い聞かせた魔法の言葉。

(誰も守ってくれないなら、自分で守るしか無いんだ)

そして今、傷ついたはずの当人は、コンビニのレジ横で買ったホットドックに似た食べ物に夢中にかじりついている。
普段ありつけない分、息子の心をがっちり掴んだようだ。

(何もできない事を償いたくて買ったとは、思ってはいないだろうけど)

とろり、と溶け出すチーズを掬い上げて口に入れると、ふいに黒曜石を思わす瞳と目が合う。

「なんで?なんで、今日は遊びたくないの?」

その問いに再び、小さな私が現れる。

なんで?
どうして?

何万回も問うた答えは、今なら分かる。
集団が苦手で、何を話していいか分からず曖昧に頷くだけの私は、弾き飛ばしやすかった。
ひとりぼっちの私は、何を言ってもいい相手だった。

 『あなたは、私たちとは違うから』 

それが、全ての答えだったのだ。


兄弟じゃないから。
友達じゃないから。
………あの子達とは、違うから。

今、そう切り捨てて、蓋をして、悲しい気持ちに気づかないフリをするのは簡単だ。
かつて言われたように、突き放して、生き方が下手な私にお似合いの答えを選べばいい。けれど―

「えっとね…」

代わりの言葉を、私は頭をフル回転させて探していた。




優しさは有限だ

世の中には、優しく無い人は沢山いる。
大人も子供も関係無く、通りすがりに平然と石を投げる。

私だって石を投げてきた。
しかし、それがいつどこでか憶えていない。
投げられた方は傷つくのに、した方はいつだって意に止めない。

優しさは有限だ。
手に入れられる人と、そうではない人が存在する。

私がいたあの教室には、小さな輪にだけ存在していた。
息子と一緒に遊ばなかったあの子の優しさは妹と弟だけにあった。
ただ、それだけなんだ。


「あの子は妹と弟が一緒だったでしょ?
その子達と遊ぶのにいっぱいになって、今日は息子ちゃんとは遊べない気持ちだったんだよ」

穏やかに語りかけながら、悲しくなる。
代わりの言葉を探そうと頭を振り絞っても、こんな事しか言えないなんて。

優しさが有限だと。
世間はあなたが思うほど暖かくは無いと、母の私は今子供に言い聞かせているのだ。

「やだ!息子ちゃんはあの子と遊びたかったの!」
可愛い眉が眉間に寄り、口がへの字に曲がる。
下手くそな生き方の惨めな答えに、当然3歳は納得しない。


「そうだよねぇ…
でもさ、遊びたく無い子の気持ちを変える事はできないよ。お友達の気持ちだって大事にしなきゃ。それにさ、」

(あの子は意地悪だったから、一緒に遊んでもつまらなかったよ)

意地悪な子なんかと遊ばなくていい。
次会った時は無視をしろ。

悪意には悪意を。

しかし、そんなトゲトゲして真っ黒な悪意は、吐き出す前に遮られた。




あしたのきのう

「じゃあ、明日は!?」
「明日なら、一緒に遊べる?」

『良いこと思いついた!』と言わんばかりに目を輝かして、私の意図なんて全く知りもしない無垢な心が真直ぐにぶつかってくる。


今日一緒に遊べないなら、明日なら遊べるなんて。
3歳児の明日は果てしなく遠い存在で、何もかも解決してくれるらしい。
全く子供らしい発想だ。

「どうかなぁ。明日は、難しいかもしれないよ」

薄汚い感情に塗れた大人は底意地が悪い。
もし明日会えたとして、今日と同じだったら、また悲しい思いをするんじゃ無いか。
だって、意地悪な子はずっと意地悪なままだ。

しかし、一向に息子は諦めない。

「じゃあ、あしたの………きのうは?

いやいや、明日の昨日って、今日だよ。
思わず、「え?」と聞き返した私に、自信たっぷりに言う。

「あしたのきのうなら、遊べるね!」

………なるほど。
息子の辞書に、『明後日』という名詞はまだ存在していない。
明日の次の日と言いたくて、知っている言葉を繋ぎ合わせたのだ。

「それは、明後日って言うんだよ」
「あしたの、きのう!」

ああ。もうインプットされてしまった。
今日はもう修正不可だ。

(それにしても、あしたのきのうなら、か)

そんな風に考えたことは無かった。
本当に、意地悪な子は意地悪なままか。世界は、有限の優しさの取り合いなのか。

1つの出来事だけ切り取って、「意地悪だ」と断定するのではなく、
息子のように、何度でも手を差し伸べたら。
そんな勇気があったなら、 ほんの少しだけ、分け与える優しさが増える気がする。

もしかしたら、もしかしたらだけど、小さな私の世界も暖かったかもしれない。


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「あしたのきのうは、遊ぶの!」
コクコクと頷き、笑うその顔ったら。

ああ。私、ようやく辿り着けた気がする。
3歳の息子が簡単に行き着いた答えに、今の今までちっとも気づかなかった。

これは、なかなか素敵じゃ無いか。
『違う』と捨て置いてしまうのは勿体ない。


あなたの世界が優しく暖かいものであるように。
そんな世界であるように。

そう願い私は頷く。
彼の言葉に敬意を表し、力強く。

「そうだね。あしたのきのう、会えたなら」





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