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お節で知る、母の愛

皆さま、あけましておめでとうございます。
書き納めができなかったので、書初めをしています。

2020年は、どんな年だったかと言われると、何とも変化の多い年でした。
それは、きっと世界中のどの人も感じた事なのでしょう。
そんな年の終わりに何をしていたかというと、おせちを作っていました。


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31日の朝からスーパーに行き、お節とお年取りと、元旦の夕飯の買い出しをし、そこから作り始めるという暴挙。
忙しすぎた。でも、「正月っぽいことした」という謎の達成感。

もしかしたら。
もしかしたら、母もこうして、達成感を得るために毎年余るのを分かっていながらお節を作り続けたのかもしれない。


私の家は、「お節を買う」という風習は無く、毎年母が年末付近になると「忙しい、忙しい」と文句を言いながら朝から晩まで台所に立ち、料理を作るというのが、物心ついてからずっと続いていた。

子どもの頃は、掃除をしながらそれを見て。
娘時代には、少しばかり手伝ったりもして。

母の作るお節は美味しいのだが、何せ量が多い。
結果、食べ続けるには飽きてしまうので、余ってしまうのだ。

どうしてこんな労力をかけて、お節なんて作り続けるんだろう。
お金を出せば、いくらでも売ってるのに。
そんな風に思っていた。




私が嫁に出ると決まった時のお正月に言われたのは、「向こうのお家のお節を教わってきなさい」で、母の年末の忙しさを知る私としては、その言葉に戦慄した。

しかし、嫁に出て初めて夫の実家で迎えた正月。
出てきたのは、デパートで買ったお節で、安堵しつつも肩透かしを食らった気分だった。

それはそうで、夫の実家はご両親ともサービス業。
年末年始は休みでは無く、むしろ仕事に出る、というのが普通のご家庭。
お節なんかに時間をかけてられない、という事で、デパートで売られる高級食材をこれでもか!と使われたお節で正月を迎えるのが普通で。

正月といえど、仕事している人もいるんだよな、なんて当たり前な事にその時、今更気付いた。


母のお手製では無く、プロが作った、高級食材がたっぷり入ったそのお節。
色鮮やかで、規則正しく美しく並んだその食べ物を、ちょっぴりワクワクしながら口に運んでみて、衝撃が走った。


(美味しくない)


美味しくないのだ。
明らかに、母の作ったお節の方がおいしかった。

一口、二口と箸を伸ばしてみるも、やはり美味しくない。

その時初めて、「お節はまずい」と言っている人の声に共感できた。
と、同時に、今の今まで知らずに生きてこれた事は、とても恵まれていたのだと、思い知った。


こんな風に、思い至らないだけで、恵まれたものを、多分私は沢山持っているのだろう。
そんな母に最後に会ったのは、もう1年も前のことだ。


今年、会う事はあるのだろうか。
それとも、今年の最後の日も、やはり私は実家のお節を思い出しながら、台所に立っているのだろうか。

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