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7回目の、メリークリスマス

煌びやかなイルミネーション。
ごちそう。
ケーキ。
わくわくしながら寝て、いつもより早く起きる朝。

クリスマスは、そんなふわふわした綿菓子みたいな「幸せ」なイメージと直結している。

それは、いつの時代でもそうなようで、生まれて3年目にして、初めて「サンタクロース」というものを認識した我が子は今、絶賛サンタクロースブームだ。

「しゃんたさん!!」

街のあちらこちらに飾られているサンタを見つけ、目を輝かして逐一教えてくれる様子は、去年とは全く違うもので。

子どもの成長は著しいもので、去年まではよく分からなかった存在が、「モノをくれる」と知り、「何だか楽しい」と認識するようになった。

そんな様子に、微笑ましいと思うと同時に、寂しいと思ってしまうのは。

それは、私が人より早く、クリスマスもサンタも、いなくなってしまったからだろうか。


正直に言う。
私は、クリスマスが嫌いだ。


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私の元にサンタさんが来なくなったのは、小学生に入ってすぐの事だった。
つまり、私は6回しかサンタさんに会ったことが無い。
その全てを記憶している訳では無いが、その6回目以降、我が家には「クリスマス」というものは消え去ってしまった。


原因は分かっている。
「サンタはいない」と追及した結果、招いた事態。
けれど、それがこんな事を引き起こすなんて想像できないぐらい、浅はかだった。


**********


のほほん、と過ごしていた保育園時代とは違い、小学生になると色々な子が混じり合い、知識も常識も情報量も段違いだ。
そんな中、12月の足音が聞こえてくると話題になるのは「サンタがいるか、いないか」というものだ。

今振り返れば、そんな話題で盛り上がるのは本当に子どもらしく、可愛らしい。
けれどその当時、今まで信じていたモノを覆されるという経験は中々衝撃的な出来事で。

「サンタって、本当はいないんだぜ」
「実は親なんだって」


「………知ってるし」


自慢気な同級生に、信じていた自分を認めたくなくて、精一杯そう言い返すのがやっとだった。

幼児から子どもへ。
小学生になるとは、そういう階段を明確に上ることだ。
けれど、強制的に同じ段に乗せられた子たちが、やはり同じスピードでその階段を登れるとは限らない。
遅いから悪い、とか、早いからすごい、という話では無い。
決してないのだが、今までいた環境と何もかもが早く過ぎ去り、付いていくのがやっと、という状況なのは、やはり不安が大きい。

取り残される というのは、小学生一年生にとって、とんでもない恐怖だ。
でもそれを、はっきりと認識もできなければ、言葉にして話す事も出来ない。

私はそれを、「怒り」という感情で母にぶつけてしまった。
別にサンタじゃなくても、その問題は起こっていただろう。
たまたまそうだっただけ。


サンタがいない事。
教えてくれなかった事。


それを怒って問い詰めて、どんな問答があったかは覚えていないが、ただ1つ覚えているのは、最後に

「そう。サンタはいない。だから、今年からクリスマスも無くていいわね」


そう、能面のような言った母の顔だけ、よく覚えている。

それが何を意味するか知ったのは、12月26日の朝だ。


12月24日
母が言った通り、サンタさんは来なかった。

12月25日
やはり、枕元にプレゼントは無かった。

12月26日
もう、サンタさんは来ないのだと知った。


その年から、私の家にはクリスマスも、サンタも来なくなった。

「サンタはいない」と言ったあの子は、プレゼントをもらっていて、クリスマスという日をお祝いしているのに。


プレゼントが欲しいとか、パーティーがしたいとか。
そういうものじゃなくて、ただ、何となく、私にとってクリスマスは「親からの愛情」を感じる日だったのだと、1人だけ何もないと分かった時に知った。

そんなもの、誰が言った訳でも無い。
ただ、私がそう感じただけ。

それでも、無性に心が吹き抜ける風は冷たくて。

(嫌いになろう)

そんなもの、私は知らなかった。
初めから、嫌いだった。


クリスマスなんて、大嫌いだ。


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大人になって、親になって、「サンタ」側になって思う。

もし、我が子が同じように、親からの愛情を感じる日だと、思うのだとしたら。
私は、どのぐらいこの子に、クリスマスを楽しみにしている我が子に、「愛してる」と伝えることができるだろうか。

クリスマスが嫌いな私に、そんな事、できるだろうか。


「まま、明日しゃんたさん来る?」

12月に入れば、毎日のように問われるその言葉。
チクリチクリ、と痛む胸に気付かぬふりをして、「後ちょっとだよ」と言い続けていたら、もう23日の夜になっていた。

明日は24日。
子どもが寝たら、こっそりと枕元に夫とプレゼントを置く。

きっと喜んでくれる。でも、本当に?

期待外れだと、思われないだろうか。

そんな不安で、久々に眠りの浅い12月23日の夜を過ごし、幸か不幸かそのお陰で、いつもより大分早い我が子の目覚めにも気づくことができた。


ゴロゴロ、と、子どもは起きる前に何回か寝返りする。
薄目を開ければ、まだ部屋は暗く、エアコンも効いていない部屋はしんと冷たい。

「もう朝?」

いつもと違う様子に、疑いの声を上げるも、起き上がる様子も無い。

もうちょっと眠れるかな…なんて思い、目を閉じようと思った瞬間、ガバ!!!と壊れた人形のように勢いよく跳ね起きる。


「しゃんたさんは!!!?」


逃してしまう。
必死の形相で辺りを見回すと、ようやく枕元に大きな包み紙を見つける。


「まま・・・・」

信じられない、という顔で、恐る恐るプレゼントに小さな手を伸ばして、ぎゅっと抱きしめて呟く。


しゃんたさん、本当に来てくれた


その時。
心にあったのは、「喜んでくれた」という安堵では無かった。


何も無い枕元に涙を落としたあの年の、あの初めてサンタは来ないと知った
月24日の私がいた。


ようやく、来てくれた。
ずっと、ずっと、待っていたよ。
サンタさん。


遅い朝日が部屋に差し込み、ささやかに飾ったクリスマスツリーがキラキラ輝く。

ごちそう。
ケーキ。
わくわくして起きるクリスマスの朝。


7回目の、メリークリスマス。




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