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オリンピックと写真。評価するは人間。

今年2024年は
パリオリンピックの年です。

現在、熱戦が繰り返される
日々が続いています。

今回、初採用された競技
ブレイキングの競技を
見ていました。

男子の代表はShigekixさんです。

競技の結果から言うと
Shigekix選手は4位でした。


さて、今日の本題は
ここからです。

この競技の評価です。

・「技術性」
・「多様性」
・「完成度」
・「音楽性」
・「独創性」

の5つの評価基準に分け
評価するそうですが、
何だかよくわかりません。


走ったり、泳いだり、
球を投げたり・打ったり
しているのを見たとき、

知識がなくても
良いプレイっていうものには
心動かされ
感動したりします。

私がブレイキングに関しての知識が
ぜんぜん無い中での観戦でしたが

Shigekixさん競技には心底
感情移入でき、
感動できたのです。

私はオリンピック審査員の
評価の仕方に
物申すつもりは全くありません。

というか、
私には評価はできないです。

しかし、私個人の考えとして、

評価する人の「心の感じ方」が
違うような気がしました。

つまり、
評価するそれぞれひとが
育ってきた人生のなかで

物ごとに対する感じ方の
違いがあるので、
それが評価するときに
影響するのではと
考えました。

特に「多様性」と「独創性」の項目。

これらはそれぞれ

「多様性」
バリエーションに富んだ動きの範囲と、
理想的には最小限の反復で行なわれる
動きの量。

「独創性」
即興性、創造性、スタイルと個性ある
自発性を維持する能力。

とのことですが、

バリエーションに富んでいるか、
創造性が感じられるか、
個性が感じられるか、

などに関して
客観的な評価は難しく

主観的に評価するならば
評価者が様々な国や文化など
環境で育ってきた状況より
評価の元となる感じ方は
分かれるだろうと思います。

そもそも、人間の感じ方は
千差万別です。

しかし、
オリンピック場合、
選抜された審査員という
人間に評価をすべて
委ねるべきだと思います。


一方で
人と人の間で
群れて生きていくのが
「人間」だと思います。

自分一人で生きていくのなら
オリンピックも審査員の評価も
必要ありません。

Shigekixさんの競技が
素晴らしく見えたのも
同じ環境で生きる
日本人だからかも
知れません。

人間はお互いの存在を認識し
お互いと関係性を持ちながら
生きていくのだと思います。


話が変わりますが
私の好きな写真。


この世界にも似たようなことが
言えるなぁと感じました。

写真は
いい写真か
そうでも無い写真かは
見た人が評価します。

技術的な手法や
撮影への熟練度は
当然写真の違いに
反映されます。

しかし、
写真を一つの「絵」として
見た場合、

誰もが自分自身の感覚で
「いい写真」や
「この写真すき」
という判断をすることができます。

それは、
写真を見る人の
ライフスタイルであったり
好みの構成、
色合いなど
見た人が自分の内面に問うてみて
判断するのだと思います。

だから
写真を評価する場合に
技術面とは別に

その写真が
「好きか」どうか。
というのは別の次元で
評価しているところが
誰にでもあるだろうと
思っています。

暗い写真ばかり好む人とか

カラフルで派手な写真が好きな人
地味だけどよく見ると味わい深い写真に
心惹かれる人などです。

「好き」は偏ります。

これはその写真家が
有名であるかどうかとか
経験が長いかどうか
というのは関係なく
自分にとって
「いい」「よくない」という
判断を無意識にしています。


私が写真を撮る時に
心掛けているのは

技術的な理想に沿ってとることも
意識はするのですが

ファインダーやモニターに
写った「絵」が
自分の好きな「絵」になるように
撮っています。

おそらくこれからもずっと。


最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
いつか写真も掲載したい。

これからも書くことを
続けます。

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