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不幸なのは、自分が選んだものとして、

早速、嫌われる勇気を手に取り、気になるところから読み始めています。いろいろ考えさせられる本ですね。

読むのは多分二度目なんですが、前回は多分、ミーハーな気分で読んだので、大した感想を持つことなく読んでしまったのかもしれないです。今回はきちんと「読みたい」という意識が先にあったからか、気付きが多いように思います。

不幸について

私は今、私が不幸だと思っていて、不幸だと思う理由はいくつかあるけどここに書いても良いかなと思うものの中にある一つが「自分の性格が気に入らない」ことが入っていて、それに振り回されているから自分は不幸だとずーっと感じています。

多分それは、何度かnoteにも書いているような気がするけど何かしら比較対象があり、それに対して「自分がいかに出来ていないか」を見ることで、あぁ俺はクズだなと思っているんですが、

まぁ、おそらく、他人から離れることでこの性格を変えることができるかもしれない、とぼんやり考え始めました。この本をきっかけにして。

不幸と感じることを自ら選んだ

それを宿命と感じるのなら、宿命だ!これは宿命なんだ!と自ら定義した訳であって、不幸だ!宿命だ!というのは自ら選択した結果なだけに過ぎないと。

そして、不幸と感じることが、自分にとって心地良いだろうとその時は推測して、選択した、と。

えー。って感じですよね。

私は、幸せになりたくて生きていたのではなかったのか。
何を目指しているのだ私は。

人は変われるという断言

私がここでグチグチnoteを書いているのは、私の鬱屈とした性格が嫌いで、それを文章化して整理して客観的に書きたかったからなのですが、その、「鬱屈とした性格が嫌いな私のことを好きな私」がいるんだろうな、と読んでいて感じました。

なんでそんなクズみたいな性格が好きなんだろうか。

その性格でいると、心地良いのか。

クヨクヨしている自分、

メソメソしている自分、

びくびくしている自分、

ぜーんぶ、私が心地良いと思っているのか。思ってねぇだろ。

仕事で、デカめのミーティングに呼ばれて人前で喋らないといけない時、いつもびくびくして、胸の周りがぼやーんと不快感が催し、早く終わってくれ、もしくは地球ごと爆発してくれ、と考えることが多い、

そんな自分を、心地良いと感じているなんて。

なわけねえだろ。

そして、この本ではそんな自分が嫌だったら変われよ、変わる勇気を持てよ、と述べています。

勇気か。私には勇気がなかったのか。

変わる?いったいどう変わるのだ。私は、いったいどう変わりたいのだ。

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