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カッコウの卵は誰のもの | 東野圭吾 | ☆☆☆

そんなに多くの作品を読んでいる訳ではないですが、なんというか、小気味よくコンパクトな作品になりましたね、という印象でした。

東野圭吾さんらしい叙述トリック、読者を惑わせる感じ、自由に操れるような書きっぷりがとても羨ましいです。

それにまんまと嵌められたように、突き合わされたように、残り数ページというところですべての真相が暴かれる物語。

なんかね、多分、そういうのが好きという人もいるでしょう。つい最近発売された作品の触れ込みが、最後の数行であなたの思い込みが覆される、みたいなのを見たことがあったんですけど、

正直、ちょっと好きじゃないんです。

その、後出し感。

多分私は、それ系の推理小説(と呼んで良いのか分かりません、定義をきちんと捉えていない気がする)にありがちな、最後にどんどん謎が解かれているっていう展開、あまり好きではないんだな。

それよりかは、って比べるのもあれですけど、淡々と物語が語られている方が好きだな。

多分そういう後出し系小説を読みたいタイミングっていうのがあるんだろうな私の場合。今回は、あまりそんな気分じゃなかった気がするよね。そういう意味では、東野圭吾さんに対して申し訳ない気分でいます。また読みたいかっていうとそれはまた別議論ですけど。

それにしても、人はなんで後出し系物語に惹かれるんだろうなぁ。

事実を知りたくなるっていうのは本能なんですかね。

ニュースとかさ、テレビでやってんじゃん、やってるとさ、つい観ちゃうんだよな、興味があるとかないとかに関わらず。

同じことなのかなと思います、後出し系物語も。

やっぱ、乗りかけた船だし、最後まで辿り着きたくなっちゃいますよね。山のてっぺんは、登り始めたら見たくなっちゃうし、地球の向こう側に行ってみたいし、彼女のことは隅々まで知りたいし、とか。

同じことなのかな…知らんけど。

だいぶ脱線してしまった。終わり。

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