子どもを持つべきではなかった、という後悔、的な妄想

(写真はイメージです)
夕飯時、11歳の長男が悪い言葉を使ったので、キツい言葉で叱ってしまいました。そして私は不貞寝を決めこみ、先に床に就くという始末。話もしたくない、という気持ちと、ここから、彼とどう和解したら良いのか、グッドアンサーが見つからないという気持ち、それら両方があって、明日から仕事復帰という憂鬱もあり、なんかもういいや、からの不貞寝。

どっちが大人なのか分からない。ね。
俺、何歳だよマジで。

👦👦👦

分かりません、分かりませんけど、ね、在宅勤務が始まってから子どもたちと一緒にいる時間が増え、そして彼らに対して被るストレスの度合いが増えてきたように思うんです。分かりませんけど。違うよね。

/* こんな日記、家族には見せられない、と思いつつ、描いてみる。たぶん、自分の気持ちを整理したいのだと思う。*/

そして、時折感じる、「私は子どもなんて持つべきではなかった」という、ぼんやりとした後悔。

多分それは自分のメンタルが若干病んでる時に抱くことが多くて、彼らから享受できるものはものすごくたくさんあるし、実際、彼らと一緒に過ごすのはプラスだと感じているから、

という前置きを書いてる時点で、自分を擁護していません?とか思っちゃう。

仮に離婚したとして、奥さんに親権を持ってもらい、私は養育費?って言うんでしたっけ、それを渡すことで子どもたちのサポートを担うことができるのであれば、私はそれを選択するだろうか、というのをベッドで枕に頭を押し付けながら、頭上にある窓から、玄関先の廊下にある外灯の明かりをぼんやりと見ながら考えることがあります。答えなんてなくて、ちょっと言葉が思いつかないのだけど所謂「隣の芝生」的なマインドを抱いているのかもしれませんし、何かしらプレッシャーを感じているのであればそこから脱却するための、、、と、句点のないクソ長い文章を書いている時点でお察しですけど、

子どもをきちんと育て上げることに対する重圧、責任、

それらが重たいと感じることがあるのかもしれない。

独身に対する憧れ。

「家族」というアイコンを、自分が生きるための目的、それを表すための象徴として選んだ自分を、ものすごく否定している瞬間なのかもしれない。

👦👦👦

子どもに対してなぜそんな否定的なマインドを抱くのかと言うと、「自分の思い通りになってない」からです。

子どもたちには、自分が感じる「汚い言葉」を使ってほしくない。

なぜなら、彼らが成長するに連れて出会うであろう人間たちに対し、汚い人間だと思われたくないから、という気持ちを抱いているから。

けどそれは、自分に置き換えて考えてみると、答えは一目瞭然なんですよね。

彼らは、彼らで自分が進むべき道を選んでいるはずだから、汚い言葉を放って生きるべき道が、彼の信ずるものならば、私は何も言わず後ろからじっと彼の背中を押すべきで、私が考える正当な道というのは、

それは私が持つ価値観から来ているもので

/* また価値観の話になってしまった */

彼が11年という年月をかけて培ってきた価値観を、親という存在の私が打ち砕くのはいかがなものかと思うし、彼なりの考えがあるはずだから、

、、、

、、

もういいや。彼に任せよう。

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