先入観をゼロにするなんて難しいよなぁ
なんでもかんでもゼロベースで考えるのって、とても良いことのように思えます。
先入観って、自分の行動を制限するものだから、人生は経験をするほうが楽しい、という価値観に従って生きるのであれば、先入観をなくしていろんなことに挑戦してみたらいいんだよ、と思います。
5歳になる息子がいますが、たった5歳でも、先入観を持ってるもんな。
例えば水泳。近くにある教室に通う?と聞くと、水の中は怖いからイヤだと言います。
それはもしかしたら本能からくるものかもしれません。
水の中にずっといることはできませんから、本能から、それを避けているのではないかと思います。
もし、本能が、先入観を生み出しているのであれば、良くわかりませんけど本能を無いものとして考えなければいけないので、とてもむずかしいよね。
いや、でも、人間には理性という強い味方がいるから、その、本能からくる先入観を抑えつけて、水の中に入るという選択肢も生まれてきますよね。
ちょっと話は変わりますけど、水の中はどうなっているんだろう、という好奇心。これを刺激することで、もしかしたら5歳の息子は、プール教室に通うことになるのかもしれません。
私としては彼が通いたいと意思を持つまでは、通わせることはしないつもりですけど、彼の好奇心を刺激することは親の仕事かもしれませんよね。
そう考えると好奇心は、経験すると楽しいかもしれないという先入観から生まれるものなのかな。ちょっと良く分からない。
私のことを話すと、多くの先入観に囲まれて暮らしています。雨だから体調が悪いはず、仕事は重たいもの、家族は愛すべき、夜はちゃんと寝る、みたいなシンプルなものから、ここじゃ書けないような複雑な問題に対するものまで、プラス、自分の意識していない部分にもきっと、先入観による影響が出ているんでしょきっと。
そこまで考えると、先入観って、もしかしたら個性と捉えることができるんじゃないか、って思います。
そうなると、先入観を無くすっていうのは、もしかしたら、個性を失うことにつながったりするのかな、なんて。先入観が無いっていう、新たな個性を手に入れるんでしょうけど。今の自分を形成するものが無くなっちゃうっていうのは、良く考えたら、ちょっとさみしいよね。さみしいとはちょっと違うか。悲しいというか。
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