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悪意の手記 | 中村文則 | ☆☆☆

結局、人に恵まれるかどうかで、人って変わっていくのか。

全体的にネタバレします。ご注意ください。

一度死んでいる

大病を患い、生死の縁をさまよった主人公。

あれですね、そういう人ってどっちかなのかなと思いますね。めっちゃ、生きてやろう、って言う人と、もうダメだ、なにがあっても生きていくことはできない、と言う人。

彼が、自殺に踏み切らなかったのは(2回失敗したけど最終的には死んでない)、周りにいる人に恵まれたのかな、と思います。

生きていてほしいと願う人が周りにどのくらいいるか、それによって、だんだんと、生きていてもいいのかな、と思う主人公、

「悪意」の矛先が、話を進めるうえで、どんどん変わっていったように思います。あ、私が思う悪意は、自分を含むだれかを殺めると言う行為に向かうための、動機だと思っています。

Kを殺してしまったのは、彼の善意が、うざかったのかな。この作家さんを読むのは二作品目ですけど、彼は、こういう時の心情描写を描くのが好きなんですね。
なんとなくぼんやりした気持ち、それを言語化するのはとても難しい。私がこの手の読書感想文を書く時に、よくそのことを言及しますけども。この作品も、大病を患っている時、Kの母から罵られる時、リツ子と復讐を目論んでいる時、その他たくさんのシーンで、主人公の気持ちがものすごく大きく揺れ動いていますけど、その時の心情をとても鮮やかに描いているように見えます。

私が彼だったら

私が主人公だったら、大病から立ち直った時、天を仰ぐのでしょうか。
どうなんだろう。
神の思し召しという言い回しがありますけど、果たして、それで片付けて良いものでしょうか。

私は、そのまま死にたかったように思います。

生きたいと、主人公は願っていなかった。
私もそこは共感していて、もし立ち直ったとしても、その病とは付き合っていかなければいけないし、入院している間に遅れた学業、友情形成、家族、社会的な立場とか、いろいろなものを出来る限り考え、「あ、もうそういうの全部めんどくさい。このまま死んじゃったほうが楽だよな」っていう結論に至るような、そんな気がぼんやりしています。

実際に、なってみないとわかりませんけども。
生きたい、って思うのかなぁ。

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