周りから見られたいという欲求

承認欲求の話。

先日、ツイッターで相互フォローしている友達が、ある有名人から存在を認知してもらいたいと思っている(はずの)人間について言及していて、

うーん、と悩んだ話。

多分、私の好きな承認欲求に絡む話だと思っていて、noteを書きながら自分の考えを研ぎ澄ませていきたいと思っていて。研ぎ澄ませるほどの整理する力があるというわけではないのですけども。それは棚上げで。

ある有名人というのは、プロサッカー選手ということにしておこう。

女子からは羨望の眼差しで見られ、子供からは将来の姿として見られ、様々な観点で見られることになるんですよねきっと。有名人てのは元来そういうもので、いや、そういう憧れとして見られるだけではなく、たまにアンチみたいな人もいるはずだから、ポジティブ/ネガティブ、それこそ360度の観点から見られると思うんですけど。

そんな中で、ただのファンだった1人が、たまたま、承認欲求が強い人間だったとしたら、おそらくその人は、その選手に対して「自分という存在を知ってもらいたい」と最初は思うはずでしょう。
それにはもしかしたら「この先、付き合っちゃうことがあるかもしれない」みたいな淡い願望を秘めているかもしれません。だいぶ考えすぎかもしれませんけど。

そういうのって個人の価値観ですからね。他人が否定できるものではないはずだから、それはそれとして認知すれば良いのでしょうけどね、

そこから先に飛躍することで、本人だけではなく周りも気にせざるを得ないことになってしまうのではないかという懸念が生まれる気がするんすよね。

ストレートに言うと「私だけを見ていてほしい」「他の女子と喋らないでほしい」「なるべく多くの時間を私と過ごしてほしい」、、、みたいな。

まぁ、やりすぎですよね。

けど人間って、このレベルにすぐ到達してしまう気がするんだよな。

理由は、私が思うに、立場を度外視してしまっているから。

選手とファンっていう枠を超えるためにはどうすれば良いのかという問題に対して、最適な回答をまず考えなきゃいけないと思うんですけど、それについては「まず、自分が相手に認知されること」が必要だと思います。

いや、

うーん、

わからんね。親密な仲になるには、その先にお互いが好意を持つ、で、価値観を共有する、みたいな展開があると思うんですけどね、

選手とファンみたいな間柄で、そこは超えてはいけない壁があると思ってましたけど、自由恋愛っていう一般的な考え方があるから、お互いに好意があれば、別にここで考えを述べるほどのことはないんだろうな、、、という、、、尻すぼみな結論へ。

寝よう

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