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やわらかい心をはぐくむ〜疫病の時代の処方箋〜

それ衆生ありて、この光に遇ふものは、三垢消滅し、身意柔軟なり。
                              (無量寿経)


 みなさま、こんにちは。私は、名古屋市にあります浄土真宗本願寺派・西念寺の住職をしております岡林俊希と申します。どうぞみなさま、心と身体を楽にしてお聞きいただきたいと思います。今回、このようなかたちでご法話をYOUTUBEに投稿させていただきましたのは、このコロナ危機の中で、私が僧侶として何かできることはないかと考えまして、やはりこういう時だからこそいよいよ仏法を、浄土真宗のみ教えを伝えていくしかないと思いました。外出制限されている時だからこそ、インターネットを通して多くの方に聞いていただきたいと思ったからです。
 今まさに疫病の時代に入ろうとしております。ウィルス自体の危険性はもちろんのこと、その不安や恐怖によって縮こまった心によっておこってくる、差別や排除やSNS等での貶し合い等、人心の荒廃もとても問題であります。緊急事態宣言が出された直後ぐらいから、朝、SNSをみますととげとげした言葉のやりとりが押し寄せてきて、私も少ししんどくなりました。
 そんな中で、相愛大学の釋徹宗先生が、NHKラジオ宗教の時間「疫病が世を覆った時代に」という番組で、客観的なデーターに基づいて公益性を守ってウィルスを防いでいくことと、不安や恐怖によって縮こまった心をほぐしていくこと、仏教でいえば柔軟心、柔軟とかいて仏教ではにゅうなんと読みますがその柔軟心との両立が課題であるとおっしゃっていました。きちっと予防するとともに固くなった心をほぐして、お互いに共感しあい、寛容に助けあっていけるような心をやしなっていくということですね。
 この課題について、具体的にどうすれば柔軟心、やわらかな心になることができるのかを私なりに考えてみたいと思います。柔軟心というのは大無量寿経、浄土真宗のもっとも大切なお経ですが、その中に「それ衆生ありて、この光に遇ふものは、三垢消滅し、身意柔軟なり」とある御文から出ております。衆生とは生きとし生けるものすべてですが、ここでは人間でいいでしょう。この光に遇ふものは、阿弥陀如来の光にであうものは、触れるものは、三垢消滅し、三垢とはわたしたちを悩ます、三つの煩悩のことです、貪欲、瞋恚、愚痴の三毒の煩悩ですね、思い通りにしたいこころ、かあーっと腹立つこころ、自分よし他人わるしでとじこもるおろかなこころですね。この三つの煩悩が消滅すると、消滅するというのは、わたしたちの煩悩の心がそのまま受け入れられる、如来さまがありのままで引き受けて下さるということですね。そして、生きているうちは煩悩はなくなりはしないけれども、阿弥陀さまの大きな心にふれるとじわーっとほどけてくる、やわらかくなってくるということです。身意柔軟なり、身とは身体の身ですね、意とは意識の意ですね、私たちの心のことです。体と心がほぐれていくということですね。
 阿弥陀如来の光というのはわたしたちにとってはお念仏、南無阿弥陀仏のことですから、お念仏申して阿弥陀如来のお心に触れたら、私たちの縮こまった心がそのまま受け入れられて、柔らかくなってくるというんです。どういうことでしょうかね。さらに詳しくお話します。
 私たちにとってコロナウィルスはとても不安な存在ですよね。もし感染したら苦しんでいかなければいけないし、重篤化したらもしかしたら死んでしまうかもしれないからですね。死にたくない、いのちを守りたい。それでぎゅーっと心が縮こまってしまう。不安のせいで不寛容になって、つい攻撃的になったり、排他的になってしまう。少なくない方がもたれているかもしれないこの死の不安に対して、どうしたら取り除くことができるのか、不安をやわらげるために仏教ができることはないかと、浄土真宗の聖典にたずねてみたんですね。そうしましたら、死というのは定業だと書いてあるんですね。定とは定まると書きます。業とは行い。未来に結果をまねくことです。いつ死ぬかということは生まれる前から決まっていると。最後に拝読させていただく蓮如上人が疫病がはやったときにお書きになられた疫癘のご文章にも「生まれはじめしよりして定業なり」と書かれている。疫病が原因で死んだように見えるけれども、それは縁できっかけであってあってそうじゃないと書いてあるんですね。この定業という考え方は仏教的にどうなのかと最初は思いました。仏教というのは縁起説であって決定論、運命論ではないんですね。縁、環境や周囲のさまざまな条件というのは無視はできないけれども、自分の行為によって未来を変えていくことができる。苦しみに沈んでいく人生を、本当の幸せに向かっていく人生へと変えていくことができる。ところが死が定業というのはどういうことなんだろうかと。
 そうしますと、こういうふうに味わえてきました。死というのは私がコントロールすることができないという意味なんだと。どれだけ死のうと思っても死ねないこともあるし、絶対死にたくないと思っていても死んでしまうんだと。私たちのどうこうできることではないんだと。
 仏教でいう生と死はどこにあるんでしょうか。仏教ではそれは今ここにあると。今ここの呼吸のなかに生と死が触れ合っているというんですね。息を吸って、出すことができなければ死ぬ。そして死ぬ時は今です。どこか先にあるのではない。生と死を分けて、死と離れた確かな生があるように思っているのが間違いなのです。生と死のふれあいの中に私たちは生きているのです。自然を少し観察してみれば分かりますね。人間にとっては気持ちのいい緑の下で、大空を眺めながら、のどかだなあと思う瞬間。でも、他の生き物にとってはどうでしょうか。小さい虫を大きな虫がついばみ、大きな虫を小鳥がついばみ、小鳥を大きな鷲がさらっていく。生死のいとなみが繰り返されている。そして、私たちもそのいとなみの円環の中で他のいのちをたべて生きているのです。
 皆さん、牛ってご存知ですか。草を食み、モーっとなくあの牛です。牛というのはどういう生き物ですか。牛乳を出してくれる生き物ですか。それともお肉として私たちに食べられるためにある生き物ですか。浄土真宗には妙好人といわれる方がいます。苦悩して仏法を求めて、阿弥陀如来のお心にふれる体験をし、その喜びを身と心であらわしていかれた方のことです。多くは庶民の方々ですね。その妙好人に因幡の源左という方がおられます。江戸時代末から昭和のはじめまで生きられた方です。牛を買いながら農業を営んでおられた。牛の扱いがとてもうまかったそうです。因幡というのは鳥取県のことですね。旧国名です。源左さんはお父さまが死ぬ時に「おらあが死んだら親さまをたのめ」と言われます。親様というのは本当の親、業魂の親ということで阿弥陀さまのことです。そういわれても、わからんで悩んで、悩んで苦しんで、いろんなところに仏法を聞きにいかれたそうです。それが、牛と一緒にのら仕事にいって、刈り草を運ばないといけないというときになって、牛にも半分刈草をのせ、自分も半分、刈草を持って運んでいた、源左さんは動物思いですからね、でもさすがに疲れてきたので、持ってた全部のわら草を牛の背中にのせて楽になった時に、ふいっとわかった、阿弥陀さまのおこころ、他力というのがわかったというのです。そこのところを源佐の言行録からそのまま味わってみたいと思います。
 ―ある日、あさ早う城谷にデン(牛の方言)を連れて草刈りにいってのう。デンや、今朝はわれにみんな負わせりゃ、われもえらからあけ、おらも一把なりと負うぜやちゅうて、刈草の束を背負うて戻りかけたが、これが重うて体がえらあになって、「おらあ負うたらと思うてて負うたが、デンや、おまえ負わしてごせ」ちゅうて、荷を皆デンに着けたいなあ。そしたらすとんと楽になってなあ、その時「ふぃっと、ここがお他力か」と気付いてなあ。デンに知らせて貰うてなあ。デンはおらあが善知識だがやあ。この時夜明けをさして貰っただいなあ。おらあデンめに、ええご縁をもらってやあ。帰りにゃ親さんのご恩を思わせてもらいながら戻っただいなあ。勿体のうござります。ようこそ。ようこそ。―『妙好人の世界』楠恭・金光寿郎より引用
 最初聞いた時はそんなものかと思っていましたが、昔の人にとって牛というものがどういう存在だったかということを知って深く味わえてくるようになりました。牛というのはながい間、人間の大切な友だったですね。田んぼを耕したり、物を運んだりする。お世話をしながら、苦楽をともにする。牛馬のように働かされるといいますね。トラックなどの自動車が発明される前は、陸路は牛や馬で運送していたんですね。今でも昔の街道沿いには死んだ牛馬を供養する馬頭観音というのがたくさんまつられていますね。牛は、人間にとって田畑を耕して、重いものを運んでくれるなくてはならない生き物ですね。飼料は草をたべるだけ。もし、牛が行き倒れたり、大飢饉があったりしたら、その肉を人間が食べることができる。飢饉の時に苦楽を共にした牛を食べるというのはどんな思いがしたでしょうね。私も可愛がっているネコのことを思ったら、なんともいえない思いになります。死ぬ時は肉も皮もすべてを人間に捧げてくれる。そういう牛が私の重い荷物を背負ってくれている、楽にさせてくれている、そこに源佐さんは気づいたんですね。デンは善知識、阿弥陀さまのおこころを教えてくれる先生だと。
 すでに私のために働いてくださり、いのちを投げ出して、死んでくださっているものがいる。わたしたちはそのいのちをいただいて生きている。多くの死の中で私は生きている。死んだもののいのちで、毎日、毎日食事をして生かしていただいているわけです。そのいただいたいのちを一瞬、一瞬、大切に生きていくしかないんじゃないでしょうか。大自然の生と死の輪の中で呼吸し、生と死を食らってわたしたちは生きているわけです。
 今回のコロナウイルスが人類の未曾有の敵であるという人がいます。そんなことはありません。人類の歴史のほとんどは疫病との戦いでした。100年ぐらい前までは、いつ死ぬかわからない疫病がいつも身近にあるのがあたり前でした。しかも、今のような知識もない、コレラも赤痢もチフスもみな区別がつかず同じ疫病としておそれられていた。疫学的な対処法もはっきりわからない。そのような日常を先人たちは送っていたわけです。どのようなことをするにも死のリスクがあった。志村けんさんの葬儀の時に、お別れができなくて悲しいというお兄さまのことばが心に響きました。コロナで亡くなった方は、感染の危険があるので、葬儀をすることもできず、厳重に隔離されて、そのまま火葬場に送られる。では昔はどうだったのでしょうか。防護服も密閉して運ぶ車もない。まわりの人がいのちがけでやるしかなかったわけです。遺体をひきとりにいった人が感染して、それをまわりにひろめてしまうということもたくさんあったようです。村八分という言葉がありますね。どんなに村の人から排除されたとしても、火事の時と葬儀の時は村人が手伝ってくれる。死ぬ時には、どんな人でもうけいれて葬る、やさしさだなと私は思っていました。でも、そうじゃないですね。遺体を放っておくと、大変危険だからですね。疫病が村中に蔓延してしまう。だから、誰かがいのちがけでその処理をしなければならない。今みたいな医学的な知識もないから大変な恐怖だったと思います。疫病だけでなくたくさんの方が死ぬと不安や恐怖も伝染してしまう。たたりじゃないか、どこかに敵がいるんじゃないかとね。私のような僧侶も今では葬式仏教と揶揄されていますけれども、そういったきびしい状況の中で死とむきあい、人々の不安とむきあっていたんですね。そして、不安や恐怖をやわらげていた。どうして、そんなことができたのか。私はいのちよりも大切な心のよりどころがあったからだと思います。現代でも、多くの人たち、医療関係者や防災関係者をはじめいろんな人がすでにいのちをかけて私たちを守ってきてくれているわけです。そして、両親をはじめ先生や多くの方々に時間をかけていただいてはぐくまれてきたわけです。仏教では、時間はいのちととらえます。多くの方が時間をかけて、身を削ってこの身をはぐくんで下さった。まさに多くのいのちの犠牲によって、生かされてきたといえます。
 そうやって、多くの生と死によって生かされたいのちを、私たちは一瞬一瞬生きているわけです。そのいのちを無駄にしないように、一瞬一瞬大切に生かしてもらうしかないのではないでしょうか。生死の輪の中にいるので私たちは時には加害者にもなり、被害者にもなりえます。しかし、そのことを受け入れながら、私たちはいのちがけで助けあってきたのではないでしょうか。死というのは私の思いでどうこうできるものでないのです。生と死はつねに今ここにあります。私たちが、コロナウィルスに対してできることはそれほどありません。手洗い、マスク、人と距離をとり、外出をしないなどです。それをきちっとした上で、生死は私がどうこうできるものではない。すでにわたしのためにいのちがけで働き、死んでくれているものがいる。その存在にふれたとき、私たちは生死、仏教では生死をしょうじといいますが、その生死をおまかせすることによって、ともに寛容になり支えあえるやわらかい心になってこの苦難を乗り越えていけるのではないでしょうか。私は、そういったところに阿弥陀如来のおはたらきを感じています。今こそお念仏申しつつ一日一日を大切にやわらかい心で生きていきましょう。
 

※YouTube 俊希の非僧非俗チャンネル掲載動画の法話原稿です。動画リンクはこちらです。https://youtu.be/NgAtx9-p6tA

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