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頑張るって言葉使うのやめた

食べ物の好き嫌いみたいに。ある人にとっては何にも対抗がないかむしろ好きだけど、ある人にとってはちょっと匂いがしただけで倦厭してしまう隠し味のセロリ的な。あるいは、単体ではすごく好きなんだけどこの組み合わせはあんまり。ってなってしまうフードペアリングの何かみたいな。笑 ちなみに私は隠し味のセロリは大好き。

あまりに心地良く無理のない1ヶ月を過ごしてしまった反動で、苦手になってしまったことがいくつかあると気付きました。

一つ目が、「頑張る」。

本来私は頑張ることがとても得意で、小さい頃や学生時代の私を知る人からはだいたい頑張り屋で努力家というイメージをもたれているはず。就職活動ではそれを自他共に認める強みとして推した結果、ガッツある人歓迎系の業界に第一志望かなって内定もらいました。

でも、頑張るって本当に大変だしつらいし苦しいことも多い。中途半端な完璧主義思考タイプには頑張る過程はかなり疲弊する。合格不合格みたいな世界で短期的に報われることももちろんあるんだけど、思うような結果にならないこともたくさん経験して。結局は、こっちの方が自分にはあっていたのかなとか、あっちにいっていたら不幸せだったに違いないと自分の中で消化するので、もっと頑張れたら等“たられば”にすがることもなければ頑張ることが無駄とも全く思わない。むしろ、報われない努力はないって思っている側だし、どこか運命論者なところもあるから結果は結果で受け入れられる。

でも今、この何かを頑張る過程で避けて通れない盲目的にいろんな犠牲を払う苦しみとか、うまく結果がついてこなかったときの最大瞬間風速的な痛みは味わう必要があることなのかどうかという自問です。そこまでやらなくていいかな。というのが率直に今の気分。だからよし頑張る!って心が口が言いそうになると、即座に頭がそれはやめとこうって止めに入る。事実、私自身過去の自分が努力したから今の自分があるに違いないと信じて疑ってないし、受験や就活など結果が目に見えることに限らず習い事のスポーツや音楽も下手の横好きだろうが絶対に真剣にやってよかった。頑張ったからこその今だと思う。

ただ大人になると、なんとなく自分の得意不得意が経験からわかってきて、得意でもないことにあえて挑んでる感を自覚してしまうからつらい。もっと好きで得意なことだけ伸ばして生きていけたらいいのに。自分が100頑張っても1の成果にしかなっていないことがあるとして。そんな傍ら、1の時間と労力で100の成果を出せる人が世の中にはいるってことを大人になって理解しました。これは基本的な能力ももちろんあると思うけど、向き不向き、得手不得手に尽きると思っています。そんな領域で無理して10,000働いて100の成果を求める必要はないはず。

私が大学卒業後新卒で入社し今に至るまでお世話になっている会社の業界は、自分では得意じゃないと分かってるんだけど、それを強みに活躍してる人がかっこよくてそんな大人になりたくて「頑張って」なんとか入った世界。やはり苦労することは多かったです。ただあの時の私がこんな大人になりたいと、素敵な世界だと思った感覚が間違ってなかったことが幸いで、恵まれた人間関係の中なんとかここまでやってこられたという感じです。

苦手意識があるかつ、積極的に好きでもない。でもそれを乗り越えたその先に得られるものには興味がある場合。これまでのわたしはつらい思いしながら一進一退、試行錯誤しながらも出来る限りやってみたけど、だんだんと嫌なことを無理やりやってる感が強くなって続かなくなり、時間もお金も無駄にした気がしてやめてしまうがお決まりのパターン。やってみようの最初のわくわくより、苦手、つらいが勝ってくる。

そこで私を救ったのが、おもいきってその領域を得意とする人に頼ってしまうという考え方。私が頑張らないといけないこともきっと誰かにとってはそこまで頑張らなくても自然とできることだから、その道のプロの手を借りよう。省エネ。それは負けでも諦めでもなくて、自分は自分の得意なこと好きなことを楽しむ人生を送りつつ、ちょっと外の世界で挑戦してみたい欲も満たせる最善の策だと感じます。

私でいうと、パーソナルトレーナーとライフコーチの存在がそれ。今日ジム行こうかなどうしようかな。どのマシンをつかってどこを何回鍛えたらいいのかな。使い方合ってる?と考える時間ですごく疲弊。間違ってたり遠回りだったら無駄だな。で続かない。とりあえず「頑張って」ジムには行こう。自分なりに「頑張って」メニュー考えてみよう。これは頑張る作業なんだと頭が理解した瞬間に一気にハードルがあがり、つらいことをやっている気持ちになります。でもトレーナーと一緒だから、とりあえずやる気なくても無心で行くだけ行こう。ができる。何も考えなくても勝手にメニューが準備されてるからこなすだけでいい。やりきったら自分がすごく大層なことを成し遂げられた気持ちまで得られる。

ライフコーチには、自分を「頑張って」いい精神状態に保とうとする過程を助けてもらえます。話している中で自然と、自分なかなか楽しい毎日送ってるじゃん。この先もこんなことやってみたら楽しいじゃん。って自分が気付けないたくさんの楽しい要素を俯瞰して見つけて教えてくれます。ネガティブなことを考えそうになった時に、頑張って自分を鼓舞する必要がなくなりました。とりあえず頭に浮かぶことをただただ話してみる。ただそれだけ。でもしっかり思考が整理されるし、やっぱり楽しいこと嬉しいことを自分の口で発して耳で聞くことで、頭がちゃんとポジティブに理解するんだと思います。発話することってすごい大切。noteもそれに近い存在ですね。

二つ目は、視覚から入るネガティブな言葉。

この1ヶ月で変わったこと二つ目が、周りから入ってくるネガティブを受け入れられなくなったこと。タイトルを見ただけで頭が拒否反応を起こすほど、耐性が無くなりました。考えちゃいけないと思うからというよりは、勝手に流れてくる負の情報によってマイナスな方向に持っていかれることを無駄だと思うようになったから。友達が悩んでいたらいくらでも聞くし相談してくれたら嬉しい。でもネットで流れてくるような私に関係ない有象無象のいらない負の情報には触れないようになりました。ちょっと前までちょっと自虐的などちらかというと負のサイドの言葉を発していた自分からは想像もつかないほど、距離を取れるようになったとも言えます。

もうここまできっとたくさん頑張ったから、ちょっとこの辺で肩の力を抜いて。たくさん人に頼って、甘えて、自分が心地いい領域で適度な負荷を感じながら過ごすのが良さそうです。🌱

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