良好な人間関係と自分らしさの間
誰からも好かれて敵を作らないことが何よりも正しいと思っていた幼少期。
それでもみんなが一度は通るレベルの軽いいじめみたいなやつも経験して、人に好かれようと振舞っててもどうしてもうまくいかない相手もいるということを知った。
人の目、人の反応が気になりすぎる思春期を経て、大学で周りの人たちみんな初めましてな環境に出て、自分が初対面の人と関係を始めることがあまり得意じゃないんだと気付いた。とても疲れた。
でも、決して多くはないけど、きっとこの先もずっと関係が続いていくんだろうなと思える大切な友達との出会いにも、自然と恵まれた。
大人になってからは、ありのままの自分を受け入れてくれる人だけでいいや。この人得意、この人苦手、と割と短時間で自分の中で線を引いてしまいがちになった。
限られた空間の中だけであればとても快適だし傷つくこともないし、幸せもたくさん感じられる。だからもうそれだけで良いと思ってた。人間関係が閉鎖的になってしまいがちな海外生活において、特に。
でもコロナが明けて人の行き来が今までよりも活発になってきて、やはりこのままではいけないかもという気持ちになって。いけないというより、たくさんの楽しいこと、たくさんの経験を逃してきてしまったんだろうなという気持ち。
あの時ああしていればという後悔もほんの少しだけあるけど、いつの時も私は一生懸命で精一杯だったから。
今ちょっと大人になって、きっと心にも余裕が出てきて、昔苦手だったことにちょっと挑戦してみようという感じ。
一方で、自分の気持ちや個性を押し殺してまでたくさんの人との関わりを求める必要もないと思ってる。
私にとってこれまで一番のネックはここで。でもちょっと極端すぎたかもしれない。もう少しバランスよく、器用に生きてみることも悪くないかもしれないという感情の変化が起こった。想像もしていなかった心境の変化に自分でもびっくり。
この(狭ーい)ゾーンに入らない人はいいです、バイバイ!と積極的に白黒つける必要はないということ。もちろん自分が不快に思うような相手と無理して一緒にいる必要はないんだけど、ダメだと決めつけてしまうゾーンが広すぎるのも。本当は素敵な人だったかもしれないし、仲良くなれたかもしれないチャンスを自ら狭めているなと思って。
これまでの私だったら正直苦手だなですぐに終わっていたであろう人が、(仕事の都合で半ば強制的に)時間をかけて過ごしてみたら、とても素敵な方だった。その人についてもっと知りたいと思えた。
自分らしさはそのままに、自分のペースも保ちつつ、ほんの少しだけシャットアウトを我慢してみただけで、ちょっと前に進めたという経験。
自分が無理をせずに、それでいてお互いに心地いいと思える時間を過ごせることはとても幸せことだから。その可能性や幅を広げていくためには、自分にとって最低限譲れない事、大切なことを明確にしておくことが、ますます大事になるということでもある。
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