レシピって何だ?
自分の求めるレシピってどういうことだろう?
最近、仕事中にふと考えていた。
伝統の味、おふくろの味、最先端の味…などなど。
そこには必ずレシピがある。
僕がやっている「ジャムの旅」は一期一会の味だ。
その時にレシピを決めるから。(これが楽しい‼︎)
一方でひとつの菓子を作ろうとなった時、僕は過去の仕事で作りあげてきたレシピをもとに考えます。
レシピそのままで作るときもあるけれど、日々考え方や感性も変化しているわけだから、配合比率を変えたり、材料の産地を変えたり、混ぜる順番を変えたりして作ることが多い。お客様の嗜好や年齢層にあわせてアレンジする時もあります。
20代の若い子たちと一緒に働いていて、時々気になることがあります。
僕が試作をしていて疑問になってることを問いかけた時、すぐにスマホから情報を得て、答えをくれるのです。まぁだいたい合ってる。
「いや、そういうことじゃないんだよな…」
って気持ちになる。僕は一緒にあーだこーだ意見交換したいんだよ。本当に答えが欲しければ、自分一人で調べるから。
(めんどくさいオヤジでごめんね…)
確かに今なら欲しいレシピをスマホからすぐに手に入れられる…超有名店の最先端のレシピから、遠く離れた異国の地の料理まで。便利で効率的な時代です。
そう、すぐ答えが出てしまう。
便利なんだけど、これが結構厄介なのだ。
そこには思うようにいかずイライラしたことや、失敗から生まれた思いがけない発見とか、やっと自分の理想に近づけた時の達成感とか、本場の国へ行って初めて目にした時の感動はない。皆無だ…。
富士山の頂上にヘリコプターで登頂するようなものだ。
(富士山登ったこと無いけど…)
苦労せずに登って見る雲海や日の出なんて、なんの感動もない。でしょ。
答えがすぐ出るものって、便利だけど記憶に残りにくい。
僕が海外のパティスリーで働いていた20代の頃、当然ながらスマホなんてなかった。(携帯も持ってなかった…)当時感動したお菓子も、仲間と過ごした時間も、写真や映像、データとしてほとんど残ってはいないんです。
もちろんレシピも。
そのかわり自分の記憶の中では、鮮明にとは言わないが、ぼやけた感じで残っている。
今はそのぼんやりした記憶をなんとか思い起こさせてレシピを作っている感じですね。
つまり
レシピとは記憶の旅
なんじゃないかな。
「これめちゃくちゃ美味しい‼︎」という記憶を辿っているのかもしれない。
もっとザクっとしてたよなっとか、もっと口溶け良かったよなっとか。
そういう記憶をもとに分量を決めていく。
時間かかるけど絶対に忘れないレシピになるよ。そしてその作業が楽しいのだ。
僕がレシピを考えている時間は、アルバムをめくりながら想い出に浸っている時間なのかもしれない。
そうやって作ったものが、また誰かの記憶の一つになれば素敵ですよね。
(ちょっとロマンチックで気持ち悪い…)
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