終わらないえんそく〜つれづれメモ16「メシア様が降誕されました。」〜
その1はこちら
前回はこちら
えんそくの描く世界を構築する要素に、「中二病」がある。
「中二病」という概念はラジオから生まれ、その後インターネットを通じて急速に広まり、「高二病」や「大二病」などの派生を生み、いまや馬鹿にする対象に使う言葉ではなく、あくまで一般的に使われる形容詞となった。
ここで補足する必要などないと思うが、現在使われる中二病という単語に含まれる意味合いは、自分を他と違うように見せたい、大人びて見せたいという背伸びの気持ちや、「特別」に憧れるといったものになる。
それはイコール、成長した暁には「あの頃の自分は少し痛かったな」という反省になるのだが、えんそくの描く世界ではそういった意味の成長は存在しない。堂々と、「ハミ出している自分たちが世界でいちばん楽しんでいる」という肯定をする。
終わらないえんそくは、そのまま終わらない中二病であり、えんそくの世界に浸っている限りはそれを完治させる必要などないのである。
その「中二病」を全面に押し出したのが14thシングル『中二病の救世主』である。
14枚目のシングル=14歳=中二病。
ぶうが「お前ら『中二病の救世主』って曲持ってこい」とメンバーに話して作成されたというエピソードからして、リリースにあたってコンセプトをガチガチに固めていたことがわかる。
作曲・編曲能力に長けているJoeがサビの頭の歌メロを<中二病の救世主>と歌詞をハメることを想定して構築し、事実その通りになった。
『5次元よりの使者(F盤)』にて少し触れたが、表題曲の「中二病の救世主」は現在バージョンが3通りある。
主旋律の歌詞──ストーリー──は変わらないものの、語り部分がそれぞれ変更されており、その違いによって「バージョンごとの主人公の立ち位置」の違いを表現するという構図になっている。
まずは14thシングルとして発売された「中二病の救世主(14th SINGLE MIX)」。
こちらは冒頭の語り部分の物語が
となっている。さらにラスサビ前の語り部分は
となっており、まさしく「中二病」を正しく押し出した内容だ。
シングルで描かれている「中二病の救世主」のストーリーは、主人公である中二病罹患者が別の中二病罹患者と自分は違う、と考えていることを基軸にしている。世論の逆張りやただの論破などは主人公の思う「カッコいい」ことではない。
そうやってクラスからも浮いている主人公は、簡単な救いにはなびかない、ということになっている。
これは単純な「J-POP聴いてるなんてダサいよね」という中二病の罹患の仕方ではなく、「J-POP? いいんじゃないのそれで救われるなら。私はそれで救われないけど(笑)」という「拗らせた罹患の仕方」である。
少女が心のどこかで白馬の王子様を待ち続けるように、主人公は「救世主」を待ち続けているのだ。それに選ばれるだけの「何か」が自分にあるはずだと、なかば自分を騙しながら。
この構図はぶうが影響を受けた筋肉少女帯の「蜘蛛の糸」と「ノゾミのなくならない世界」と近似している。
「蜘蛛の糸」は私たちがまさに中二病に罹患するような時期に進研ゼミのタイアップをとっていた曲なのだが、「なんつー曲をタイアップしちゃったんだ」とファン及び良心をもつものはざわついた。
「蜘蛛の糸」の歌詞はこうである。
「蜘蛛の糸」では主人公はクラス内透明人間であり、クラスの人間を「自分とは違う人種である」と差別し、ノートに子猫の絵を描いて休み時間をやり過ごしている。
「中二病の救世主」では、主人公の立場がやや違う。しかしノートに自分の癒しとなる「救世主」を描いているという行動は「蜘蛛の糸」の主人公が子猫を描く行動と本質は変わらない。
また、「ノゾミのなくならない世界」ではこういった歌詞が綴られる。
主人公であるノゾミは「ドグラ・マグラ」を読むような文学少女だが、ラジオで聴いた楽曲をきっかけに「バンギャル」になる。「アリスみたいなニーソックス」を履いて「レコード・ポスター買い漁り」、「チケットとるため徹夜」して「あたしを覚えてもらわなきゃ」と、カリスマミュージシャンへの憧れを募らせる。
この少女がその後どうなるかは本家の楽曲を聴いていただきたいが、簡単にまとめると彼女は突然「中二病と恋から醒める」日がやってきてしまう。
中二病の登場人物に対する物語の描き方は、基本的にふた通りある。
ひとつは成長につれて中二病が治るもの。もうひとつは中二病罹患者が実際にその中二病により何らかの救いや活躍を与えられるというものだ。
えんそくの描く物語世界では、このどちらも適用されない。前述した通り、この世界では「中二病」は「罹患すべきもの」であり、「ハミ出した自分たち」を肯定するものだからだ。
そして、もうひとつ付け加えるならば、「自分たちのかかった中二病」は「他の中二病」とは違う特別なものであり、この中二病にかかれなかったその他大勢の中二病患者及び一般人は「選別されなかった憐みの対象」である。
事実会場物販限定で販売されている『中二病の救世主(BESTデモ盤)』に収録されているバージョンはタイトルも「中二病の救世主(DEMONSTRATION MIX)」となっており、シングルバージョンともF盤バージョンとも違う語りの部分はかなり誇張され、攻撃的になっている。
これはえんそく側にハミ出したものへのより強い肯定であり、この強調された選民思想により、ファンの連帯感を産む効果になっている。
また、『5次元よりの使者(F盤)』に収録されている「中二病の救世主(5次元よりの使者Ver.)」は主人公を「中二病に罹患した『シングルバージョンの主人公』の成長した姿」にすることにより、幅広い年齢層をこの楽曲のターゲットにすることに成功した。
そして、シングルを聴くとこの「救世主」もまた、中二病を発症しながらも孤独に耐える少年であったことがわかる。
この楽曲に散りばめられているモチーフは、そのまま「ぶう」というボーカリストを構築している要素になる。
楳図かずおの『14歳』、大槻ケンヂの著作「くるぐる使い」と「のの子の復讐ジグジグ」、フランツ・カフカの『変身』。
ぶう本人と「14才」の主人公は実際には違うが、持ち合わせているものは同一。「14才」の主人公が、くるぐる(発狂者)達を思うまま操れる「心のジグジグ(毒電波)」を「能力」としている部分は、音楽によってフロアを踊らせるボーカリストの姿が重なってしまう。
では、ぶうの言うタイプの「中二病」にかかっていなかった一般人及び詐病者はどうなるのか。えんそくの世界に浸る資格がないと拒絶されているのか。
その回答は、三曲目に収録されている「Society finch for teen」に綴られている。
「中二病の救世主」の主人公のような中二病患者も、主人公に差別されるような中二病患者も、右に倣えをしてきた人間も、全員の「青春」は特別だと、その人生を生きてきた自分を大切にして欲しいんだというメッセージが伝わってくる。
表題曲での「あの娘」や「14才」の「自分は特別だと信じた少年」だけではなく、すべての人間を肯定する。違うところも、同じところも、それぞれがいいのだと。そして、時折それを振り返り、その場所として自分たちのライブ会場を選んで欲しいと。
この楽曲はこの後発売された『5次元よりの使者(F盤)』に収録されている「Fat Father Fake Finch Forever」ともリンクしているのだが、「Fat Father Fake Finch Forever」では「小鳥達の父なる者」=この世界線を支配している者への憤りを歌うものになっているが、「Society finch for teen」はその存在を個々にして、それぞれの人生=世界線の肯定をしている。
そして、産まれた時から存在しているこの場所を否定したい人間すらも救おうという意思が、「救世主」をデモンストレーションへと走らせ、14歳の魂のまま転生を繰り返して「5次元ドア」をくぐり、「クラスの転校生」としてあの頃の少女へと手を差し伸べる行動へつながるのである。
中二病患者を描いた物語の定型ではないが、えんそくの描くこの物語──中二病患者が『自分や周りを救う活躍』のではなく、その患者の存在に気づいた周囲が自分自身を変える──は、新たな「救い」の型である。
その17はこちら