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映画の感想:「トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして」

昨日、NETFLIXでパートナーと一緒に観た映画。
僕は映画に詳しくないのでわからないこともいっぱいあったけど、それでも飽きずに観続けることができた。
そんな僕が感じたことを、文章に書いてみる。

ステレオタイプの表現が差別を増大する

僕が観たのは、まずこんなものだった。

・過去の映画でのトランスジェンダー(以降、トランス)の扱われ方
・扱われ方のパターン化
・ステレオタイプ化した表現は、観客に特定のイメージを抱かせる
・個々人に深く潜ったイメージが、無意識に差別を産み出す

出てきた映画の中には、映画に詳しくない僕でも知ってるものもあった。
ただ、そんなシーンがあったことはまったく覚えていなかった。
でも、それは裏を返すと「僕はその表現を見ても傷つかない」から覚えていないし、その表現のインパクトを無視できるMajorityだからこその反応だったんだ。今ならそう言える。

表現には背景があり、そこを共有できて初めてその表現を感じられる。でも表現だけを切り取って使うと「なぜそうなのか?」「それ以外はあるのか?」が見えなくなって「なんだかわからないもの、怖いもの」のレッテルを張ってしまう感覚に陥る。

一方で、僕たちはわかりやすいもの・理解できる枠組みを好む。そんな僕たちのニーズに合わせ、多くの場合表現がされているんだと思う。
映画の中でも「トランス女性役のほうが、トランス男性役よりも多い」ことが語られ、理由に「観客へのインパクト・わかりやすさ」が挙げられた。
そう考えると、過去に起きてきた流れは今も続いていて、まさに僕たちの課題なんだ、と突き付けられた気がしている。

インターセクショナリティ

他にも、トランスの黒人はより社会的な立場が弱くなることが語られていた。ジェンダーとエスニシティ、それぞれの社会的差別が重なり困難さが増幅する状況が語られ、どんどん逃げ場がなくなっていく様子にとても痛みを感じたんだ。

※このような、差別が多層的に交差していることを「インターセクショナリティ」と呼ぶらしい。
僕自身うまく説明できないことでもあるので、ネットで記事をいくつか探してみた。参考までに。

僕たちは、見えるものから自分を探す

他方、自分と同様のセクシュアリティの方が映像に出ているのを見て勇気づけられたり、救いになったということも語られる。その言葉から、僕が自分の大変だった経験と似た話を見聞きして感動・共感したことを思い出す。

僕たちは、この世界に自分がいていいんだ、と思いたくて色々なところに自分の痕跡を探すんだと思う。海外の映画で日本人が不思議な描かれ方をしているのを見て、「違うよ!」と言いつつ心のどこかでちょっとだけ嬉しかったりするのに近いのかもしれない。
※もちろん、正しく知ってほしいな・・と悲しくなるのはあるけれど。

だからこそ、表現のインパクトは自覚しておきたい、と改めて感じたんだ。

タイトル(原題)が表すもの

この映画の原題は「disclosure」となっている。
ニュアンスがわからなかったのでネットで少し調べてみたけど、書かれていることを見て「なるほど!」と感じた。

一部抜粋。

(意図的に)隠されていたものを明かす、暴露するという意味。

この映画は、disclosureをめぐる物語でもあるし、そこにある痛み、希望、悲しみ、喜びという感情の物語でもある。
何より、隠したり明かしたりするためには相手がいなきゃできなくて、決してマイノリティとされる方だけの問題ではないんだ。そこには僕たちも含まれるし、僕たちもいろいろなものを隠していて表現できていない社会だと思ってる。この映画はその社会を変える一歩なんだ、と今噛みしめてます。

終わりに

NETFLIXでの視聴となるので、誰にでも薦められるわけではないけれど見られる環境にある方は是非見てほしい!!と強く感じました。
これまで楽しんで観ていたものの見え方ががらっと変わるかもしれないけれど、その先には新しい楽しみ方への道が待っているんじゃないかな、と僕は思っています。

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