鐘をつく意味
毎年、大晦日には、友人と連れ立って、お寺に鐘をつきに行く。
今年は久しぶり雪が多く、朝から夜まで通して降り続けたが、11時頃にやんだ。
空は真っ黒に澄み渡り、冴え切った満月が塵界を照らし、塵界は寂蒔としている。
葉を落とした落葉樹の寂しい枝は、雪をまとって、樹氷の如く、フラクタルに夜空に伸びる。
例年にない良い夜だ、と思った。
順番を待ち、お寺さんの合図で、鐘の前に立つ。
撞木から伸びた縄に手をかける。
大きな鐘を見上げると、前についた人の唸りを残しながら、まだゆらゆらと揺れている。
撞木と鐘の間に夜空が見える。
鐘と撞木がどちらもゆらゆらと揺れるので、その隙間が微かに広がり、微かに狭まる。
いつ、撞くか?
とっさに、この問いに答えるのは、自分ではないと思った。
鐘と撞木から聞き取らなければならない。
試されている。
啐啄同時。
無無無。。
鐘が撞かれるべき瞬間。
撞木はすでに力強く動いていた。
ごおおん
おおおん
・・・・
虚空に響く鐘の音と共に、意識は澄み渡り、虚空に満ち、尽界に放射する。
透明な夜空には薄雲がたなびき、月光を柔らかく反射している。
年が明けた。
鐘を撞き、煩悩を落とすと人は言う。
鐘を撞く瞬間、心身は脱落する。
鐘を撞くのではなく、鐘に撞かせられる。
鐘の音が寂空に満ちわたる時、煩悩は因縁を失い、虚空へ帰る。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?