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知ることで生きづらくなったこと、そして。

学校で医療系の勉強をしている。そのため、授業の一環として、妊婦体験や車いす体験、高齢者体験があった。

それまでも、電車やバスに乗れば漠然と高齢者や妊婦、体の不自由な人、幼い子を連れたママさんやパパさん(最近はパパさんのワンオペも多く見かけるようになって心がほっこりする)には、座っている席を譲るべきだという意識があった。でも、それは自分の出来る範囲であり、自分が体調不良の時ややることが立て込んで寝不足の時は例外だと思っていた。

しかし、大学でライフステージについて学び、授業の中で高齢者や妊婦、体の不自由な方などの体験をすることで、想像に過ぎなかった高齢者や妊婦、体の不自由な人の大変さなどが本当に少しかもしれないが理解出来たのかもしれない(当事者からすれば、それっぽっちの体験で理解できたなんていうなと言われることは覚悟しているが、体験してない人よりは理解できたと思いたい)。

それ授業以降、電車やバスに乗れば、より高齢者や妊婦、体の不自由な人、幼い子を連れたママさんやパパさんには、席を譲らなければいけないという意識が強くなった。たとえ、自分の体調が優れなくても、自分よりも大変だったり、辛かったりするはずだから、譲らなければいけないと思うようになっていた。どうしても、体調的に譲れない時には、罪悪感に苛まれた。そして、どんな時でも席を譲ることが善であり、そうすることが正義だと思い込んでいた。

しかし、自分が忙しさで心と体の両方の不調に悩まされた時に気が付いたことがある。

ぱっと見た感じ、健康そうな若者が座り、踏ん張りが効かずに立っているのも大変そうな高齢者が座席の前に立っていた。普通なら、なんで目の前に高齢者がいるにも関わらず、「なぜ席を譲らないのだろう。」、「優しさが足りないのではないか。」と思うかもしれない。でも、健康そうな若者も見た目には表れてないものの、何かしらの体調不良があったのかもしれない。高齢者や妊婦、体の不自由な人、幼い子を連れたママさんやパパさんなどは目で見て判断することが出来る。でも、目に見えてないだけで心や体の体調が優れない人だっていることに気が付いた。

自分とは違う立場の人を知ったことでより相手の立場になって考えることが出来るようになったのと同時に、優しさを持たなければいけないと思い、真面目過ぎる自分は生きずらくなった気がする。そして、非常に健康的な私が心身の不調に悩まされたことで、物事の見る視点が増えた。

人生,生きていると難しいことは多いけれど、新たな気づきがあって面白いと思う今日この頃。


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