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第43回 ドイツでウランクラブ委員会立ち上げ。

イギリス首相、チェンバレンは常々言っていました。
「戦争では何も得られない。何も救われない。何も終わらせられない。戦争に勝者はいない。全てが敗者なのだ!」
しかしその声はヒトラーには届きませんでした。
「綺麗ごとを言うな!ベルサイユ条約であんなにひどい事を決めたくせに」
過酷な賠償金はドイツ国民を窮民の状態にしていました。勝たなければだめなのです。

4月にヒトラーは、ウランクラブ委員会を立ち上げました。本格的に原子爆弾の製造に取り組み始めたのです。それは来たるべき、英仏・そしてアメリカに絶対的に勝つための新兵器の製造でした。
ノーベル賞を若くして取ったハイゼンベルクを中心に活動が始まりましたが、ハイゼンベルクは内心では乗り気ではありませんでした。やがて非協力な態度から、ヒトラーから「白いユダヤ人め!」と言われました。
核分裂の最初の発見者ともいえるオットー・ハーンも召集されました。しかし、ハーンは、反ナチのシュトラウスマンを助手にしたり、ユダヤ人のリーゼ・マイトナーを逃がしていたので、当局から警戒されていました。(続く)

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