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第39回 伊勢の斎宮との密通(1)

前出の「高子との出奔」と並んで事実の存否で論議を呼ぶ「伊勢の斎宮との密通」です。もちろん私は「在り」の立場です。だいたい今は第69段と真ん中に入れられていますが、当初は冒頭にあったという説があります。それで最初は『在五が物語(在原の五男業平の物語』と言われていたのが、その余りの衝撃の強さで『伊勢物語』と呼ばれるようになったというのです。衝撃が余りにも強すぎるので中頃の段に入れられたという事です。

さて、何度も登場しますが、私が信奉する角田文衛先生は、この出来事を翌年6月に恬子内親王が出産した(大事な儀式を欠席した)事から逆算し、しかも原文では「月のおぼろなるに」とあるので、貞観7(865)年10月中旬の事ではないかと論じられました。
業平41歳。そして斎宮恬子内親王は18歳です。業平はこの「18歳」に悩殺されるのでしょうか?高子と出奔したのも高子18歳です。恬子内親王は12歳の時に斎宮に指名されました。業平も妻の従妹ですから見知っていたでしょうか。しかし今、目の前にいる内親王は麗しき乙女に成長していました。
狩の使いー視察も兼ねていたという事ですが、恬子内親王の母、紀静子からは「常の使いよりはよくいたわれ」という事で、丁重に扱われたでしょう。
そして物語によればですが(作者がかなり脚色した?)業平は昼は狩りに出て、2日目の夜、「われて逢はむ(ぜひ逢いたい)」と言ったのです。

そして、子(ね)一つ(午前零時)に、内親王は女童を先に立てて業平の寝ている部屋にやって来たというのです。しかしこれは理に適っています。
なぜなら内親王の寝所には数人の女房が周りを取り囲む様に寝ていた筈であり、そこに忍び込むのは至難の業です。ですから、女の方から来た方が安全だという事です。
そして丑三つ(午前3時)まで一緒に居て帰ったという事で、朝方、後朝(きぬぎぬ)の歌が贈られてきます。(ここは創作の可能性大!)
恬子「君や来し我や行きけむおもほえず 夢かうつつか寝てかさめてか」-貴方が来られたのか、それとも私の方から行ったのかよく分かりません。あれは夢だったのか、それとも現実の出来事だったのか。眠っていたのでしょうか、目覚めていたのでしょうかー
男は、なぜか泣きながら詠みます。
業平「かきくらす心の闇にまどひにき 夢うつつとはこよひ定めよ」-涙に目もくれ、心も闇に迷う様な状態で、何も分別がつきません。あれが夢だったのか、現実の事だったのかは、今晩確かめて下さいー今夜もう一度逢いたい、と訴えた歌です。

さて、二人は翌日の夜も逢えたのでしょうか?続きは明日に・・・
しかしこれだけの醜聞をあからさまに実名入りで伝えるというのは、絶対何か何者かの意図があったと私は思います。

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