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第23回 香子、越前へ(1)

長徳2(996)年。香子は27歳になっています。1月25日、正月の除目で、父為時は淡路守の任じられました。花山天皇が出家して失職して以来、ちょうど10年ぶりの任官で本来は喜ばしい事なのですが、為時は喜びません。
淡路が下国だったからです。当時は大国・上国・中国・下国の4段階に分かれていて一番下です。66か国の内、9か国で、他には隠岐・壱岐・対馬など主に島が多いです。

沈む為時に、拙著『源氏物語誕生』で、かつて為時の同僚で将来の夫である宣孝が祝いに来たものの暗い為時に、一条天皇に漢詩を奏上してはどうか、義姉に源典侍(げんのないしのすけーやがて香子と因縁の関係)が天皇に仕える女房なので渡しますという提案をします。
為時は、一生懸命学問に努力したのにこの任官では残念でありますという詩を奏上すると、何と28日に、左大臣道長が自分の乳兄弟源国盛の越前守に交替で任じるという知らせが来ます。越前(福井県)はトップの大国です。米の収穫量などが多いからでしょうか?

たった3日の天国と地獄ほどの違い。堤邸はきつねにつままれた様な気分となります。
しかしこれには裏で道長の打算が大きく働いていたと思います。道長の長女彰子は9歳ですが、絶対に一条天皇に入内させる気でいます。
中宮定子に頭の良い清少納言がいて時めいている様に、彰子の将来の女房にと優秀な子女の品定めをしていたのです。
香子が聡明な事を知っていた道長は、為時に恩を売って将来の布石にしたのではないでしょうか。

しかしその頃、中関白家を揺るがす大事件が秘かに起こっていました。
1月16日夜、伊周と隆家の兄弟が花山法皇を襲撃したというのです。
事の起こりは23歳の伊周には正室がいましたが、別に先頃亡くなった藤原為光の三女を愛人として通っていました。実はその亡くなった姉怟子が、花山法皇が退位のきっかけともなった愛する女御だったのです。
花山法皇は出家しながらも女色は続けていました。そして法皇は四女の方に通っていたのです。
これを伊周は、法皇も自分の愛人の三の君の方に通っていると誤解しました。誰かの注進か、それとも四の君は余り美しくなかったかよほど若かったか。とにかく伊周は法皇が自分の愛人を横取りしようとしていると思い込んでしまったのです。

伊周が相談した相手が悪かったです。弟の血気盛んな18歳の弟・隆家です。
実は隆家と花山法皇とも因縁があって、どちらも強気。なぜか、法皇が隆家に、自分の邸の前は通り抜けなどできぬだろうと挑発して、受けて立った隆家を力づくで通り抜けさせませんでした。この頃の隆家は若くて無礼な所があって、妻の祖父にあたる太政大臣頼忠にも礼を尽くさず嘆かせていました。

そんな隆家ですから、早速「ちょっと法皇様を脅かしてあげましょう」と嬉々として提案し、法皇が夜、邸に来た時に矢を放ったのです。
しかしやり過ぎました。法皇の家来を一人殺し、矢の一本は法皇の袖を貫いたのです。法皇は驚いて逃げ帰り、伊周と隆家は大笑いした事でしょう。

法皇は女の事が原因の揉め事ですから黙っていましたが、こんな事はすぐ噂になります。そして網を張っていた道長の耳にもすぐに入ったのでした。(続く)


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