いかに使うか「12万4100時間−今まさに息している時間」
昨年11月で40歳となった。孔子の『論語』でいう「不惑」だ。
人間は40歳になると、人生に自身が生まれて迷わなくなるという。
しかし、いざ40歳になってみるとどうか。
この先の人生、どうしていくべきかとめちゃくちゃ迷っている。
60歳まで「12万4100時間」
仮に、60歳までに何かを成し遂げようと思った場合。
単純計算で1年365日だと、40〜60歳までの時間は以下の通りだ。
24時間×365日×20年=17万5200時間
さらに、1日7時間睡眠であれば、行動できる時間は以下となる。
17万5200時間−(7時間×365日×20年)=12万4100時間
では、そこから1日3時間もダラダラするとどうか。
12万4100時間-(3時間×365日×20年)=10万2200時間
計算では、1日3時間ダラけると2万1900時間も無駄になる。
24時間で割るとおよそ912日分、約2年半分に相当する。
いざ数字としてみると、じつに恐ろしい。
現実では、こうして悶々としているうちにも時間は過ぎている。
誰しも1日24時間は平等で、無情にも時は流れていく。
自分は今、フリーランスとしての過渡期を実感している。
公私ともども「省」の一言
ライターとして十数年、昨年は「省」の一言に尽きた。
Web「goo漢字辞典」によれば、意味は以下のとおりだ。
言わずもがな、考えたのは①の意味だ。
取引先への迷惑をかけたことも多々、本業では迷いに迷った。
自分は「男性更年期」ではないかと疑い、自信が削られていた。
他人への勝手な期待で、相手を傷つける仕草も取っていた。
リアルでもSNSでも楽しそうな誰かをうらやみ、嫉妬していた。
自宅ではリアルに「ダメだ」と何度も、独り言をつぶやいていた。
自分なんて「何やっても無意味だ」とずっと、モヤモヤしていた。
他人からの「ありがとう」よりも、自分で自分を責めていた。
現在進行形でもありごく一部で、挙げればキリがない。
数年前の後悔も気を抜くと押し寄せて、とにかくボロボロだった。
40歳まで真に「生きてこなかった」
60歳まで、12万4100時間−今まさに息している時間しかない。
だから僕は、綺麗事もなく昨年までの自分を捨てたい。
変わるため、戒めも込めて今やりたいコトを書き連ねる。
・ライターは継続
・本来ある考え「手柄は他人、反省は自分」は継続
・自罰思考をやわらげるべく、心中では「他人のせい」にもする
・ライター以外で稼ぎながら息抜きできる副業を1月中に作る
・1日30分だけ運動をする
・テキスト以外の発信場所、音声配信を継続
・嫌われるのを恐れない
僕にはおそらく、人生経験が足りていない。
40歳で「不惑」にも関わらず、その半分も生きてこなかった。
マジで「自分がなくなる」のではと正直、常に怯えている。
でも、2024年でそんな自分とは決別する。サヨナラ。
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